上野原遺跡
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上野原遺跡(うえのはらいせき)は、鹿児島県霧島市上野原にある近世から縄文時代早期にかけての複合遺跡。遺跡の周辺は上野原縄文の森と呼ばれる公園として整備されている。
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[編集] 概要
1986年(昭和61年)に、国分市(現・霧島市)において工業団地(国分上野原テクノパーク)の造成中に発見された。同年から1996年(平成8年)にかけて鹿児島県教育委員会が発掘調査を行い、近世から縄文時代早期前葉までの遺跡群を含む複合遺跡であることがわかった。特に遺跡群の最下層には発見当時において日本列島で最古の大規模な定住集落跡があり、出土した土器が1998年(平成10年)に国の重要文化財に、遺跡の一部が1999年(平成11年)に国の史跡に指定された。「縄文文化は東日本で栄えて西日本では低調だった」という常識に疑問を呈する遺跡ともなった。
[編集] 発掘の詳細
発掘調査では17層の地層について調査され、1層目から9層目までの範囲で遺跡が確認された。
- 1層目: 桜島の火山灰(P1- P3)を含む現代の農耕土。土師器や陶磁器が確認された。
- 2層目: 黒色土。山之口式土器、中溝式土器、竪穴式住居跡6軒が確認され、近世から中世にかけての遺跡とされる。
- 3層目: 暗茶褐色土。掘立柱建物1軒、石皿、石斧などが確認され、古墳時代から弥生時代にかけての遺跡とされる。
- 4層目: 桜島の火山灰(P5)を含む薄えび茶褐色土。多数の土坑、黒川式土器が確認され、縄文時代晩期の遺跡とされる。
- 5層目: 桜島の火山灰(P7)を含むえび茶褐色土、および鬼界アカホヤ火山灰を含む明橙色土。
- 6層目: 桜島の火山灰(P11)を含む灰茶褐色土。
- 7層目: 黒褐色土。様々な種類の縄文式土器に加えて集石遺構56基、土抗3基が確認され、縄文時代早期中葉から前葉の遺跡とされる。
- 8層目: 桜島の火山灰(P13)を含む黒色土。前平式土器、撚糸文土器が確認された。
- 9層目: 暗茶褐色土。竪穴式住居跡、集石遺構、連穴土抗、前平式土器などが確認された。この層と直下の10層目との間に縄文時代早期前葉の遺構が挟まる形になっている。
- 10層目: 桜島の火山灰(P14:サツマ火山灰)を含む黄色土。この層より下の遺跡は確認されていない。
このうち特に桜島火山灰P14の上にあった最下層部の遺跡において、竪穴式住居46軒、石蒸調理のための集石遺構が39基、燻製製造のための連穴土抗15基、その他の土抗約125基、道の跡2条が確認された。竪穴式住居跡のうち10軒については桜島火山灰P13で埋まっていたことから、これらの住居はP14からP13の間、すなわち約9500年前の縄文時代早期前葉に存在していたことが確認された。集落跡の面積は15,000平方メートルに及ぶ。
[編集] 発掘後の状況
遺跡は保護のために埋め戻され、その上に縄文時代の竪穴式住居などが復元され、財団法人鹿児島県文化振興財団が管理する「上野原縄文の森」という公園になっている。また、遺跡から出土した遺物は側にある「縄文の森展示館」にて見ることが可能である。