上杉教房
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上杉 教房(うえすぎ のりふさ、?-長禄3年10月15日(1459年11月10日))は、室町時代の武将。上杉氏の一族(犬懸上杉家)。上杉禅秀の3男持房の子。上杉政藤の父。中務少輔。
父・持房が上杉朝房の養子となっていた叔父(禅秀の弟)上杉氏朝の養子となっていたため、持房・教房父子も在京の氏朝とともに京都の足利将軍家に仕えていた。享徳の乱が始まると、教房も同族(朝房の系統)である越後守護上杉房定に従って息子政藤とともに武蔵国にいた関東管領上杉房顕の救援に向かう。だが、長禄3年(1459年)の太田庄の戦いにて古河公方足利成氏の軍によって討たれた。