リカルド・ヴァス・テ
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リカルド・ヴァス・テ | ||
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名前 | ||
カタカナ | リカルド・ヴァス・テ | |
ラテン文字 | Ricardo VAZ TE | |
基本情報 | ||
国籍 | ポルトガル | |
生年月日 | 1986年10月1日(21歳) | |
出身地 | リスボン | |
身長 | 188cm | |
体重 | 79kg | |
選手情報 | ||
在籍チーム | ボルトン・ワンダラーズFC | |
ポジション | SH、WF、CF | |
背番号 | 20 | |
利き足 | 右足
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リカルド・ヴァス・テ(Ricardo Vaz Tê, 1986年10月1日 - )はポルトガル出身のサッカー選手。ポジションはFW、MF。
目次 |
[編集] プレースタイル
ルーツは不明だが黒人特有のバネと屈強なフィジカルを生かした力強いドリブル突破が持ち味。また足下も意外と柔らかくでその長い足で柔軟にボールをタッチする。188㎝の長身はロングボールの基準点ともなり、ポストプレーはあまりせず、精度も高くないものの滞空時間の長いヘディングシュートは強烈そのもの。両サイドハーフからフォワードまで幅広いポジションをこなしてみせる汎用性も魅力。ただ資質は高いレベルで備えているものの実戦で持ち味を出し切る術を学ぶ必要がある。ユース時代を過ごしたナニらと共にポルトガルの新しい世代の中心選手として期待されている。
[編集] 略歴
母国ポルトガルのスポルティング・ファレンセのジュニアチームにいた2003年にイングランドへ行き、ボルトン・ワンダラーズのトライアルを受け、そこでアピールし、同チームと3年契約を結ぶ。サム・アラダイス監督(当時)は「彼はプレミア屈指のストライカーになる可能性を秘めている」と賞賛した。 するとすぐに2004年1月のFAカップ対トランメア・ローヴァーズ戦でトップデビューを飾る。そしてその2ヶ月後の対ミドルスブラFC戦(2-0で敗戦)でプレミアリーグでデビュー。それ以来トップチームに登録されるようになった。その年のボクシングデーにオールド・トラフォード行われたマンチェスター・ユナイテッド戦で初のフル出場。期待の若手として徐々に注目を浴びていった。 翌年の2005-2006シーズンは計29試合に出場。一時は右サイドハーフとして当時ボルトン在籍だった中田英寿からレギュラーの座を奪っていたこともあった。 その年のUEFAカップ、ポルトガルのヴィトーリアSC戦で鮮やかなシュートを決め引き分けに持ち込む重要なゴールを挙げた。その後はやや伸び悩んだが貴重なサブとしてアラダイス監督に重宝された。2007年には1ヶ月の短期ローン移籍でハル・シティへ移籍し実戦経験を深める。 そして迎えた2007-2008シーズン。ボルトンは開幕戦で前監督アラダイス率いるニューカッスル・ユナイテッドと対戦。当時新監督だったサミー・リーの信頼を得てスタメン出場を飾るも前半終了間際に靱帯損傷の重症を負いシーズンを棒に振ってしまった。
[編集] 代表
フル代表歴はまだない。U-20ポルトガル代表で出場したツーロン国際トーナメント対韓国戦でハットトリックを達成するなど主力として活躍した。その後はU-21代表に上がり2006年のアンダー21ヨーロッパ選手権にも出場した。だがイングランドのチームに所属しているということもあってかあまり代表歴は多くない。
[編集] 所属クラブ
- スポルティング・ファレンセ(ポルトガル) 2002-2003
- ボルトン・ワンダラーズFC(イングランド) 2003-
ボルトン・ワンダラーズFC - 現所属メンバー |
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2 ハント | 3 サミュエル | 4 ノーラン | 5 メイテ | 6 スピード | 7 ギアンナコプーロス | 8 カンポ | 9 ヘルグソン | 10 ヴィルヘルムション | 11 ガードナー | 12 ウォーカー | 14 デイヴィス | 15 シド | 16 テイムリアン | 17 ガスリー | 18 アロンソ | 19 マッキャン | 20 ヴァス・テ | 21 ディウフ | 22 ヤースケライネン | 23 ジェマイリ | 24 J・オブライエン | 26 アル・ハブシ | 28 ミハリーク | 29 ハルサーニィ | 31 A・オブライエン | 37 シンクレア 監督: メグソン |