モスクワ音楽院
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モスクワ音楽院(正式名称、チャイコフスキー記念国立モスクワ音楽院、Московская Государственная Консерватория им. П.И.Чайковского、Moscow Tchaikovsky Conservatory)はロシアの音楽学校。
[編集] 歴史
ロシア国内の音楽教育機関としては最高の権威を持つ。1866年ニコライ・ルービンシュタイン(1862年にサンクト・ペテルブルク音楽院を創設したアントン・ルービンシュタインの兄)によって創設される。1878年チャイコフスキーは同音楽院の作曲科教授を務めており、1940年チャイコフスキー生誕100周年を記念して現在の正式名称となった。
現在ではモスクワ音楽院付属中央音楽学校など学校全体の規模は拡大している。留学生はアジア圏を中心に年々増加しており、中国人と韓国人の比率が高い。オフシーズンでも公開レッスンやシンポジウム、果てはリハーサルやコンクールなど、音楽に関するイベントが山盛りで、熱気は衰えを知らない。
冷戦崩壊以後、ロシア人を国際コンクールで入賞させる口実が世界中で消滅した。このことに伴い、国際コンクール入賞の全体成績は落ちている。しかしこれは優秀な音楽家がこの音楽院から出てこないことを意味しておらず、アレクサンドル・コブリン、ヤコフ・カチュネルソン、オルガ・ケルン、パヴェル・ギントフ、セルゲイ・クドリャコフなどの在籍したピアニストのレヴェルは驚くほど高い。1990年代より作曲教育が完全に解禁され、多くの作曲家がロシアに客員教授として招かれたことに伴い、ドミトリ・コゥリャンスキ、アレクセイ・シオウマク、セルゲイ・ネフスキー、ニコライ・クルスト、オルガ・アルシナなどの優秀な作曲家がこの音楽院から次々と輩出された。
現在では校舎全体の老朽化や、練習室の確保難などの問題に直面している。日本のくらしき作陽大学(作陽音大)と提携したのは、国際交流以上に経営難からの切実な要求であったとみられる。
[編集] 外部リンク
- 公式サイト (英語とロシア語)