マックス・ヴァインライヒ
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マックス・ヴァインライヒ(Max Weinreich, Макс Вайнрайх, 1893年/1894年 ロシア帝国クールラント県ゴールディンゲン Goldingen (現ラトヴィア・クルディーガ Kuldīga) - 1969年 ニューヨーク市)は、クールラント出身のユダヤ教徒のイディッシュ語学・言語学者。 高名な言語学者ウリエル・ヴァインライヒの父でもある。
1925年、ヴィルナのイディッシュ科学研究所(yidišer visnšaftlikher institut(ドイツ語 Jiddischer(Jüdischer) Wissenschaftlicher Institut), Yiddish Scientific Institute, 略称 YIVO)設立の参加者の一人である。
これは現在、YIVOユダヤ調査研究所(イーヴォ・ユダヤ研究所) YIVO Institute for Jewish Research としてよく知られている。
1925年から1939年まで指導的立場にあった。1940年、ナチスによる蛮行を避けニューヨークに移住、研究所も移転した。
ニューヨーク市立大学でイディッシュ語講座を担当し、今日のイディッシュ語学・研究の基礎に繋がっていった。
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[編集] 3つのイディッシュ文化研究所
ポーランド・リトアニア地域においては、1920年代になり、イディッシュ語・イディッシュ文化全般の研究に従事するための機関が3つ設けられた。 その3つとは、ウクライナのキエフのウクライナ科学アカデミー(Ukrainian Academy of Sciences)のユダヤ教徒部門、ミンスクのベラルーシ科学アカデミー(Belorussian Academy of Sciences)のユダヤ教徒部門、そしてもっとも有名なものが、ヴィルナのイディッシュ科学研究所であった。
これらの機関は、イディッシュ語言語学に関して言えば、言語調査と資料の収集、そして言語地図作成、辞書編集、研究誌の発行を行った。 しかし、現在も機能しているのは YIVO のみである。
1930年代後期から1940年代初めの西欧では、イディッシュ以後・文化研究はされなくなってしまった。 1940年、YIVOのニューヨーク移転と共に、イディッシュ文化の研究は逆にアメリカ合衆国となった(そして、ヨーロッパに残ったユダヤ教徒は虐殺され、イディッシュ文化も壊滅していく)。
[編集] 著作
- "Studien zur Geschichte und dialektischen Gliederung der jiddischen Sprache"
- "Di geshikhte fun der yidisher shprakh"「イディッシュ語の歴史」 (4巻本:ニューヨーク、1973年)
[編集] 参考資料
- 「言語学大事典」
- 「イディッシュの民話」(青土社)
[編集] 外部リンク
- "a shprakh iz a dialekt mit an armey un flot" - 有名な引用
- YIVO(YIVO本部のホームページ)
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