ホルヘ・カストロ
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基本情報 | |
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本名 | ホルヘ・フェルナンド・カストロ |
通称 | Locomotora、El Roña |
階級 | スーパーウェルター級~クルーザー級 |
国籍 | アルゼンチン |
誕生日 | 1967年8月18日(40歳) |
出身地 | アルゼンチン サンタクルス州、カレタ・オリビア |
命日 | |
死地 | |
スタイル | オーソドックス |
プロボクシング戦績 | |
総試合数 | 144 |
勝ち | 130 |
KO勝ち | 90 |
敗け | 11 |
引き分け | 3 |
無効試合 |
ホルヘ・カストロ(Jorge Castro、1967年8月18日 - )は、アルゼンチンのプロボクサー。元WBA世界ミドル級チャンピオン。20~50戦でキャリアを終えるのが一般的となっている現代で、144戦130勝という驚異的なレコードを保持。172cmとミドル級でも小柄ながら、3階級上のクルーザー級で2度世界挑戦をした。
目次 |
[編集] 来歴
- 1987年2月14日にプロデビューし、ハイペースで試合を行う。
- 1991年12月13日、72戦目でテリー・ノリスの持つWBC世界スーパーウェルター級王座に挑戦するも12R判定負け。
- 1992年6月30日、ロイ・ジョーンズ・ジュニアと対戦し10R判定負け。ジョーンズはこの試合でデビューからの連続KO記録がストップ。
- 1994年8月14日、レジー・ジョンソンを12R判定で下しWBA世界ミドル級王座を獲得し、その後4度の防衛に成功。
- 1995年12月19日、後楽園ホールで竹原慎二と対戦。3Rに左ボディーブローでプロ・アマ通じて初のダウンを奪われる(と伝えられているが、実際はプロで二度目)。この時カストロはマウスピースを吐き出して、時間稼ぎをした。試合は12R判定負けで王座陥落となった。
- 1997年2月15日、ロベルト・デュラン対戦し12R判定勝ち。リターンマッチでは12R判定負け。
- 2000年12月16日、ファン・カルロス・ゴメスの持つWBC世界クルーザー級王座に挑戦するも10RKO負け。初のKO負けとなった。
- 2001年10月20日、イマム・メイフィールドとのIBF世界クルーザー級挑戦者決定戦で9RTKOで勝利。
- 2002年2月1日、ワシリー・ジロフの持つIBF世界クルーザー級王座に挑戦するも12R判定負け。
- 2007年現役引退。
[編集] 獲得タイトル
[編集] 関連記事
[編集] 外部リンク
空位 前タイトル保持者 ジョン・D・ジャクソン |
第19代WBA世界ミドル級王者 |
次王者 竹原慎二 |