プレスリリース
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プレスリリースとは、行政機関や民間企業などから報道機関向けに発表された声明や資料のこと。
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[編集] 語源
英語 press release をカタカナ書きしたもの。英語で「プレス」は「新聞」または「新聞社」、「リリース」は「発表」や「公開」、「放出」を意味する。news releaseとも。
[編集] 公表手段
[編集] 記者会見
政府機関や大きな組織が重要な発表をするときは記者会見を開く。小さな案件、あるいは小さな組織の場合、ファクシミリ、電子メールなどで送付する。PR会社などの配信代行サービスを使い広報資料を送ることも可能である。マスメディアは、届いたプレスリリースを元に取材を行い、記事にする。
官公庁や公社などの場合、内部に記者クラブ(記者室)があるが、民間企業の場合、一部の大企業を除き自社内に記者クラブは無いので、通常最寄の県庁や市役所、証券取引所などの記者クラブへ出向いて発表を行う。
カメラのフラッシュを浴びながら発表を行う風景を連想する人が多いが、必ずしもそういった発表ばかりではなく、記者室の各記者の机の上や棚に資料を配って終わり、ということも多い。
[編集] インターネット
最近は、記者クラブで配布した資料と全く同じ物を自社のウェブサイトに掲載する官庁、企業が多い。ウェブサイトの中にプレスリリースのコーナーを設けて利用者の便を図っていることも多い。
発表する側から見れば、テレビや新聞などのマスメディアではプレスリリースがあっても報道されるかは自体分からない上、報道されるのは全体の一部に過ぎない。また発表側の意図とは違った報道がなされることもある。インターネットで公開することにより、発表の一部を切り取ることなく原文どおり公開することができる。
情報を受け取る側からすれば、企業や自治体等からのプレスリリースを原文で読めるというのが大きなメリットであろう。かつてはマスコミ関係者しか手に入らなかったり、手に入れることができるにせよ多大な手間がかかっていたが、インターネットさえあればいつでも最新の情報を原文のまま手に入れることができる。
インターネットでプレスリリースを配信する手段としてはHTMLやPDF、ストリーミングによる映像配信がある。中でもPDFによる公開が最も多い。これはPDFの著作権管理機能により改ざんを防げること、PDFファイルを閲覧するのには無償のAdobe Readerが利用できるためであろう。
[編集] 記者会見・プレスリリースに関するエピソード
- 「私は寝てないんだ!」事件(2000年)
- 雪印集団食中毒事件の際に行った謝罪の記者会見の際、もみくちゃにされた石川哲郎雪印乳業社長(当時)が「私は寝てないんだ!」と記者団に怒鳴った。またこの発言に対しあるメディアの記者が「こっちだって寝てないんですよ!」と怒鳴りあいになり、またこの発言がテレビで報道されると石川社長はマスコミや世論から更なる非難を受けることになってしまった。
- 「リレーって何ですか?」事件(2002年)
- 種子島宇宙センターでの出来事。H-IIAロケット2号機打上げ後の記者発表でNHKの記者の発した質問である。ロケットの取材をするのにリレー(継電器)という語の意味がわからず、事前の準備(勉強)をせずに取材に臨んでいることが露呈してしまった。記者発表の風景はネットで生中継されていて、その光景を見た人たちから「仕事として取材に行っているのにあまりにも不勉強ではないか」などの感想が出た。
- 宅八郎記者会見乱入事件
- 2003年7月18日、長野県庁の表現道場(当時長野県知事だった田中康夫の脱記者クラブ宣言によって記者クラブがフリー記者にも開放されていた)で行われた県知事記者会見におたく評論家の宅八郎が参加し、田中康夫が過去に雑誌で連載していた内容について謝罪をするように執拗に要求し、田中がこれを拒否すると宅が怒鳴り声を上げながら激しく抗議するなど場内は異様な雰囲気に包まれた。この一部始終はテレビや雑誌などのメディアでも取り上げられ話題になった。因みに、この時宅はフリーランスとして会見に参加していた。
- 「あんたらもうええわ、社長呼んで」事件
- JR西日本福知山線脱線事故の記者発表の際の出来事。読売新聞の記者が、発表するJR担当者に向かって暴言を吐いた事件。同席していた他の記者からも「取材する者の態度ではない」と批判がでた。この模様もテレビで放送されたため読売新聞社に抗議が殺到、同社は紙上で謝罪し、記者を処分した。またこの事件を巡っては件の読売記者だけでなく他の社の記者も暴言を吐いていたとの指摘が相次いだ。
- ある新興航空会社の事件(2005年)
- ある新興航空会社がプレスリリースをすることになった。航空会社側は地元での記者会見を望んだが、国土交通省記者クラブの要望で国交省内で発表することになった。発表当日社長が現れたが、(記者側から見た印象であるが)「わざわざ来てやった」という態度で、発表の方法をめぐって記者側と口論となり、社長は怒って帰ってしまった。のちにある新聞記者が国土交通省の広報誌でこのエピソードを紹介し、取材の難しさについて語っていた。航空会社の社名は伏せられており、新規に開業する会社ということであった。記者側と発表する側との認識の違いが良く現れているエピソードである。