プラチャンダ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
プラチャンダ(ネパール語: प्रचण्ड Prachanda,1954年12月11日-)はネパールの政治家、革命家。ネパール共産党毛沢東主義派(通称マオイスト、毛派)議長。制憲議会議員。 本名はプスパ・カマル・ダハル。「プラチャンダ」は「獰猛なやつ」という意味である。毛派が制憲議会で第1党となったので近く首相となる公算が大きい。
目次 |
[編集] 経歴
カスキ郡のバフン(バラモン)の家庭に生まれたとされる。少年期をネパールのチトワン郡ですごし、ラムプールの農業・動物学大学を卒業する。一時、米国から支援を受けていた農村開発プロジェクトに従事していたと伝えられる。またゴルカ郡の高校で農業を教えていたこともあるという。
1971年ネパール共産党入党。当初より武装闘争の必要性を感じていた。
1989年、キランが武装闘争の失敗で失脚した後、地下政党・ネパール共産党マシャル派総書記に就任。マシャル派はネパール共産党統一センター派(エカタ・ケンドラとも。これも地下政党)に合流。1991年、統一センター派は武装闘争に消極的なニルマル・ラマ派と積極的なプラチャンダ派の同名の二つの組織に分裂し、その一方を率いる。統一センター派の公然組織・統一人民戦線ネパールも分裂し、プラチャンダ派の公然組織の議長にはバブラム・バッタライが就任する。
1995年3月、プラチャンダは自派の「統一センター」をネパール共産党毛沢東主義派(いわゆるマオイスト)に改称し、書記長に就任。また、同党の軍事組織(ゲリラ組織)の最高指揮官となる。
[編集] 人民戦争
バブラム・バッタライは公然組織・統一人民戦線ネパールの名でデウバ首相に40か条の要求をつきつけ、拒否されると、プラチャンダの指揮のもと1996年2月13日、ロルパ、ルクム、シンドゥリ、ゴルカの4郡で警察署などを襲い、武装蜂起を起こす。これにより同党はネパール政府との間で10年間にわたる「人民戦争」(ネパール内戦)を開始した。この戦争で、13,000人が死亡したとされる。
当初毛派の軍備は極めてお粗末なもので、猟銃やピストル、警察官が使うようなライフル、それにナイフだった。ライフルはプラチャンダ自身が買いにいったものであった。警察詰め所を次々襲い、最初の一年半で50人を殺害した。そうした実戦経験の中で次第に武力を増強していった。一方、1998年政府も警察による本格的な掃討作戦を開始し、両者の死者数はエスカレートしてゆく。2000年9月初めて郡庁所在地を襲撃。2000年12月、初めて郡レベルの人民政府を確立。
2001年、2月、インド・パンジャブ州で開かれた第二回党総会で同党議長に就任、「プラチャンダの道」といわれる運動方針を採択した。これは、「農村から都市部を包囲する」という毛沢東理論だけでは不十分だと考え、農村ゲリラと都市プロパガンダを合体させるべきだという考え方である。ペルー共産党(センデロ・ルミノソ=「輝ける道」)の影響を受けたといわれる。また、この大会で人民解放軍の正式結成が決まる。
2001年末までに24の郡で人民政府が樹立された。11月25日非常事態宣言が出され、王室ネパール軍が本格的にマオイスト掃蕩に乗り出す。一方、マオイスト側も大規模な軍施設襲撃などを頻発させる。
農村地域を中心に実効支配を進め、2003年実効支配地域は国土の7-8割を占めるにいたる。
[編集] 和平と王制の打倒
ロクタントラ・アンドランを参照
2005年2月1日、ギャネンドラ国王は全権を掌握し、独裁政治を開始した。 2005年毛派は国会に勢力を持っていた7党連合とインドで会談し、十二か条の合意を達成、ともに国王の独裁政治と闘うことで合意。 2006年4月、ゼネストなどの民主化運動(ロクタントラ・アンドラン)の高まりにより国王は独裁制を放棄し、国王としてのあらゆる特権を失った。元首は首相が兼任することになった。「王国」という国号も廃止された。
11月21日毛派は政府と無期限停戦と和平を誓う包括和平協定に調印。人民戦争は終結した。
2008年4月10日の制憲議会選挙で同党は220議席を獲得し第一党となった。プラチャンダ自身、カトマンズの第10小選挙区に立候補し、当選している。しかし、党として過半数の議席が確保できなかったので幅広い連立を模索している。
5月31日、「毛派に対するメディアの批判は許さない」という趣旨の発言をして物議をかもした。主要メディアは呼称を「プラチャンダ」から本名「プスパ・カマル・ダハル」に切り替えて抵抗の意を表した。
毛沢東主義派は当初、大統領と首相の両方のポストを要求していたが、他党に譲歩し、大統領職を放棄したため、プラチャンダは首相になるのではないかという見方が有力である。
[編集] 寸評
- 「プラチャンダの弱点は野心が強すぎることだ」(スディル・シャルマ、ジャーナリスト)
[編集] 外部リンク
- Communist Party of Nepal (Maoist) official website
- Interview with Comrade Prachanda, General Secretary of the Communist Party of Nepal (Maoist)
- BBCインタビュー