ブルース・ボウエン
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ブルース・ボウエン(Bruce Bowen, 1971年6月14日 - )は、アメリカ合衆国のバスケットボール選手。カリフォルニア州マーセド出身。身長201cm、体重91kg。ポジションはスモール・フォワード。北米プロバスケットボールリーグNBAのサンアントニオ・スパーズに所属している。マークされた選手が嫌になるほど粘着質なディフェンスと、ひたすらオープンになるのを待ちコーナーからの3ポイントシュートを狙う、というニッチな技術に特化した「職人」のような選手と評価されることもある。
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[編集] 経歴
カリフォルニア州立大学フラートン校で4年間プレーし、通算得点で大学歴代12位、通算リバウンドで同7位を記録、1992-93シーズン(4年生時)には大学が所属する地区の1stチームに選出されたが、NBAドラフトにはかからなかった。
1996-97シーズンにマイアミ・ヒートでNBAデビューを果たすが、この年は1試合、1分の出場に止まった。
1997-98、1998-99シーズンはボストン・セルティックスに所属。ボストンでの1年目は60試合に出場し(先発9回)、1試合平均の出場時間も20分を超えたが、翌年はケガもあり30試合の出場、平均出場時間も16.5分に止まった。
1999-2000シーズンはフィラデルフィア・セブンティシクサーズの一員として開幕を迎え、42試合に出場するが、出場時間は平均7.4分と前年を更に下回り、2月16日にはシカゴ・ブルズへと放出され、2日後に解雇となった。しかし直後にマイアミ・ヒートと契約、ヘッドコーチのパット・ライリーに見出され27試合に出場、平均21分のプレータイムが与えられ、46.6%と高確率な、コーナーからの3ポイントシュートはヒート及び彼自身の強力な武器となった。
2000-01シーズンは全82試合に出場、うち72試合で先発とレギュラーに定着し、オールディフェンシブ2ndチームに選出される活躍で、大黒柱のアロンゾ・モーニングを欠いたチームのプレーオフ進出に貢献した。
2001-02シーズンからはサンアントニオ・スパーズに加わり、ディフェンスの要として2003年、2005年、2007年の3度の優勝に大きく貢献し、現在も同チームでプレーを続けている。
[編集] プレースタイル
粘り強いディフェンス技術は常に相手チームのエースにプレッシャーを与え続ける、自他共に認めるディフェンスのスペシャリストである。マッチアップする相手の調子を崩すために大小様々な手段を用い、時には審判の死角でファウル紛いのラフなプレーをすることもあり、ボウエンとの接触で怪我を負う選手も少なくないため、相手の選手やヘッドコーチから深刻な非難も浴びている。
オフェンス面においてはコーナーからの3ポイントシュートに卓越しており、2002-03シーズンはリーグトップの成功率44.1%、2005-06シーズンはリーグ9位の42.4%を記録した。常にコーナーから決めるため、この位置を「ボウエンのフェイバリット・スポット」と呼ぶ事もある。
フリースローは苦手としており、相手チームがファウルゲームを狙うときには、真っ先に標的となる(「ハック・ア・シャック」ならぬ、「ブルース・ア・ブルース(Bruise-a-Bruce)」といわれている)。
[編集] タイトル
- NBAチャンピオン:2003,2005
- オールディフェンシブ
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- 1stチーム:2003-04,2004-05,2005-06
- 2ndチーム:2000-01,2001-02,2002-03
- 3ポイントシュート成功率1位:2002-03
[編集] その他
- 恵まれない子供たちのための奨学金を援助するブルース・ボウエン基金を設立、運営し、また、出身地のフレズノで子供たちに無償でバスケットボールを教えるキャンプを開催するなど、慈善事業にも積極的に参加している。
- 自身のキャリアを終えた後は高校でバスケットボールを教える教師になりたい、と語っている。
- NFLのダラス・カウボーイズの大ファンである。
- 2004年夏に結婚し2005年に長男が誕生した。
- 子供の頃憧れた選手はディフェンスの上手いマイケル・クーパーだった。
- 2002年以降から現在まで全試合に出場している。連続出場試合数は36歳にして現役選手1位でありまさに鉄人といわれている。