フィラデルフィア・ジャック・オブライエン
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フィラデルフィア・ジャック・オブライエン(Philadelphia Jack O'Brien、本名:ジョセフ・フランシス・ヘーゲン、1878年1月17日 - 1942年11月12日)は、18世紀末から19世紀初頭にかけて活躍したアメリカ合衆国のプロボクサー。元世界ライトヘビー級チャンピオン。富豪の息子という変わり種で、同級最強と評する識者もいるテクニシャンであった。
[編集] 来歴
その名の通りペンシルベニア州フィラデルフィア生まれ。ハングリー・スポーツの代名詞たるボクシングにあって、大富豪の御曹司という異色のプロフィールを持つ。散歩中にふと覗き込んだジムで目にしたボクシングに魅せられ、トレーニングを始める。
1896年、プロデビュー。故郷フィラデルフィアからサンフランシスコ、英国まで遠征し、帰国してからは、バルバドス・ジョー・ウォルコットやキッド・マッコイ等ら強豪を相手にハイペースでファイトをこなす。
1905年12月20日、三階級制覇者ボブ・フィッシモンズの持つ世界ライトヘビー級王座に挑み、13回KOでタイトル奪取(結局、このタイトルは一度も防衛せず返上)。
翌1906年11月28日、ロサンゼルスで世界ヘビー級王者トミー・バーンズに挑み善戦するも、20回引分けに終わる。翌1907年5月8日に再挑戦したが、今度は20回判定負け。ヘビー級王座奪取はならなかった。
1909年にはミドル級王者スタンリー・ケッチェルと対戦、ダウンを喰いながらどうにか無判定に持ち込んだものの、再戦では必殺の右を顎に受けKO負け。“ミシガンの暗殺者”には歯が立たなかった。
1912年、引退。
[編集] 通算戦績
101勝(36KO)7敗16引分け57無判定