キッド・マッコイ
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チャールズ・"キッド"・マッコイ(Charles "Kid" McCoy、本名:ノーマン・セルビー (Norman Selby)、1872年10月13日 - 1940年4月18日)は米国出身の元プロボクサーで、世界ウェルター級チャンピオン。
1896年、王者トミー・ライアンに勝って世界ウェルター級チャンピオンとなる。その後も階級を問わず闘い、1904年には初代世界ライトヘビー級王座をジャック・ルートと争ったが判定で敗れた。翌年引退したが、またカムバック、その後も引退とカムバックを繰り返した。
優れた技巧派であった反面、一種の奇人で、油断させたるため病身を装ってリングに上がったり、試合中に相手に話しかけ、その隙に乗じてパンチを浴びせダウンさせたりなど、反則紛いの変則ファイトでも知られる。私生活でも8回結婚を繰り返したり、付き合ってた恋人を射殺するなど、奇行を繰り返してたという。
漫画「あしたのジョー」で一般に知られるようになったコークスクリュー・ブロー(パンチの当て際に手首を回転させ、抉り込むように打つパンチ)の発案者とも言われる。1940年、睡眠薬の過剰摂取による自殺を遂げた。
[編集] 通算戦績
105戦81勝(35KO)6敗6引分け9無判定3無効試合