パワーズコート
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情報 | ||||
旧名称 | {{{旧名称}}} | |||
用途 | {{{用途}}} | |||
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設計者 | リヒャルト・カッセルス | |||
構造設計者 | {{{構造設計者}}} | |||
施工 | 1741年 | |||
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構造形式 | パラディオ様式 | |||
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着工 | {{{着工}}} | |||
竣工 | 1731年 | |||
開館開所 | {{{開館開所}}} | |||
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所在地 | 〒{{{所在地郵便番号}}} アイルランド、ウィックロー州、 エニスケリー |
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電話 | {{{電話}}} |
パワーズコート(英:Powerscourt Estate)はアイルランド共和国ウィックロー州エニスケリー近くにある、旧パワーズコート子爵の屋敷と庭園である。きれいな庭園が存在し、日本語では単にパワーズコートと記載されることが多い。現在、47エーカー(18.8ヘクタール)の面積がある。建物は元々13世紀の城でドイツの建築家、リヒャルト・カッセルスにより18世紀に大きく改築された。建築は1731年に始まり1741年に完成した。1974年の火災で、建物の土台のみを残して焼失したが、1996年に再建された。
パワーズコートは今日では、有名な観光名所であり、ゴルフコースやアヴォカ手織工場社(Avoca Handweavers)のレストランやリッツ・カールトンのホテルもある。
目次 |
[編集] 歴史
13世紀の屋敷の持ち主はラ・ポール(la Poer)であり、それが英国風にパワー(Power)と変更された。城の位置は戦略的、軍事的に重要であった。それは、城の所有者が、近くのダーグル川(Dargle)、グレンクリー川(Glencree)、グレンカレン川(Glencullen)へのアクセスをコントロールできたためである。
3階建ての建物には68の部屋がある。エントランスホールは60フィート(18m)の奥行きと40フィート(12m)の幅があり、家の家宝が展示されていた。主応接間は1階ではなく2階にあった。ぶなの木の並木道が1マイルの長さ、家の正面から続いている。
ジョージ4世王は、1821年8月、第5代パワーズコート子爵であるリチャード・ウィングフィールドの客であった。第7代パワーズコート子爵のマーヴィン・ウィングフィールドは、1844年8才で爵位とパワーズコートの領地を相続した。それはアイルランドの土地49,000エーカー(200km)を含んでいた。彼が21才に達したとき、家の大きな改装を始め、新しい庭をつくった。
庭園のデザインは、パワーズコート子爵がベルサイユ宮殿の華麗な庭園や、ウィーン近くのシェーンブルン宮殿や、ハイデルベルグ近くのシュヴェツィンゲン宮殿を訪れた際にひらめいたものである。庭園の完成には20年かかり、1880年に完成した。
庭園における見るべき点として、石の塔によるタワーバレー、日本庭園、翼のある馬の彫像、トリトンの湖、ペット墓地、イルカ池、生垣に囲まれた庭園、バンベルグ門(Bamberg Gate) 、イタリア様式の庭園がある。過去に観光可能であったが現在不可能なものに、ペパーポットタワーがある。これは、ウィングフィールド夫人の好みだった3インチのペパーポットを元にデザインされたものと言われている。特筆すべきものとしてペット墓地がある。この墓石は「驚くほど個性的なもの」と言われている。
見晴らしの良い丘の頂上に屋敷を作ることで、リヒャルト・カッセルスは、通常の薄暗い雰囲気をなくした。建物は、2つの円形のドーム上の塔が両端にある質素なパラディオ様式を用いていた。これにより、ジョン・ヴァンブラが「城の空気」と呼んでいる様なものを屋敷に与えることができた。
1830年代に屋敷は実現されていない聖書の予言の会議の会場として使用された。その会議には、ジョン・ネルソン・ダルビー(John Nelson Darby)やエドワード・イルヴィング(Edward Irving)のような人物が出席していた。これらの会議は、テオドシア・ウィングフィールド・パワーズコート、後に未亡人のパワーズコート夫人の後援のもと行なわれた。彼女の手紙や文章は、近年、パワーズコートの予言会議の結論と共に出版された[1]。
屋敷は1974年11月4日にスラセンジャー家が所有している間に火災により消失し、その後1996年に再建された。2部屋のみがパワーズコートが住んでいた時を再現して公開されている。修繕された屋敷の残りは店舗に改装された。
屋敷は2002年の映画モンテ・クリスト伯に使用された。また、もっと有名な作品としてスタンリー・キューブリックのバリー・リンドンにも使用されている。これは、1974年の火災で焼失する前に撮影されたものである。
パワーズコートの屋敷はデイビッド・ディキンソンのヴィクトリア時代の推理小説(「おやすみ皇太子さま(Goodnight Sweet Prince)」「死と式典(Death And The Jubilee)」「法廷に呼ばれた死神(Death Called To The Bar)」)のシリーズフランシス・パワーズコート卿(Francis Powerscourt)の小説の舞台となっている。
[編集] 飲食物
現在、飲食物のサービスはアイルランドのアヴォカ手織工場社(Avoca Handweavers)が提供している。
[編集] パワーズコートの滝
パワーズコートの滝とその谷はパワーズコートの屋敷の敷地内であるが、この滝のある区域は飛び地となっており、屋敷の敷地とは現在つながっていない。この滝は121mの高さで、アイルランドで一番高い滝である。1858年に第7代パワーズコート子爵が鹿公園を滝の近くに作成し、日本の鹿をアイルランドに持ってくることに成功した。
パワーズコートから滝までのバスは2005年に廃止されたが、夏の間、臨時バスが利用可能である。滝はエニスケリーから7kmの距離で歩くことも可能である。しかし、可能であるものの、その道は危険で、道は狭く、長い道のりは持久力が必要である。