パスクアーレ・フォッジャ
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パスクアーレ・フォッジャ | ||
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名前 | ||
本名 | パスクアーレ・フォッジャ | |
カタカナ | パスクアーレ・フォッジャ | |
ラテン文字 | Pasquale FOGGIA | |
基本情報 | ||
国籍 | イタリア | |
生年月日 | 1983年6月3日(25歳) | |
出身地 | ナポリ | |
身長 | 167cm | |
体重 | 67kg | |
選手情報 | ||
在籍チーム | カリアリ | |
ポジション | WG | |
背番号 | 10 | |
利き足 | 左足
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代表歴 | ||
出場 | 2 | |
得点 | 0 2007年10月現在 |
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パスクアーレ・フォッジャ(Pasquale Foggia, 1983年6月3日 - )は、イタリアのナポリ出身のサッカー選手。セリエA・ラツィオ所属、現在はカリアリにレンタル移籍中。ポジションはWG。
目次 |
[編集] 略歴
2000-2001年シーズンにセリエC1・トレヴィーゾでサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。ACミランとの共同保有であり、短い期間ではあったがACミランのユースでの練習の経験もある。トレヴィーゾでは計69試合に出場し13得点、2002-2003シーズンはセリエBでのプレーを経験した。2003-2004年シーズンにはエンポリFCに、引き続きACミランとの共同保有で移籍し、セリエAデビューを果たし2004年までの1シーズン半で28試合に出場し1得点。2005年はセリエBのクロトーネFCにレンタル移籍し15試合出場1得点だった。
2005-2006年シーズンはセリエA・アスコリにレンタル移籍し33試合に出場した。主に4-4-2システムの右サイドで30試合に先発出場、左利きの選手独特の内に切れ込むドリブルで好機を演出とすると共に自身も4得点を上げチームのセリエA残留に貢献、同じ小柄な左利きの右ウイングで1982 FIFAワールドカップの優勝メンバーであるブルーノ・コンティの再来との評価も得る飛躍のシーズンとなった。
2006-2007年シーズンはACミランへの復帰も検討されたが、4-3-1-2システムではポジションが限られる為、前シーズンの活躍を買われてラツィオに完全移籍。しかしながらラツィオでもシーズン途中にシステムが4-4-2から4-3-1-2に変更されポジションを失ったことから(3試合に先発、8試合に途中出場、1ゴールだった)、冬にレッジーナにレンタル移籍をする。レッジーナでは(かつては中村俊輔が背負った)背番号10を与えられ3-4-2-1システムの右セカンドトップとして15試合に出場(内先発は11試合)し4得点。ロランド・ビアンキ、二コラ・アモルーゾと共に魅惑の3トップを組み、カルチョ・スキャンダルの影響で勝点-11からのスタートという地方クラブには重すぎる処罰からの、誰も予想をしなかった奇跡の残留に大いに貢献した。
2007―2008年シーズンはレンタル移籍でにカリアリに移籍。2年前にアスコリで当時奇跡と評された残留を実現させたマルコ・ジャンパオロ監督の下、同じく当時左のサイドハーフとして活躍したミケーレ・フィーニとのコンビを組み、3年連続での所属チームの「奇跡の残留」を目指している。また、4-3-3、4-2-3-1のウイングに高い適性を持つことから同システムで試合に臨むことの多いイタリア代表のロベルト・ドナドーニ監督からも注目をされており、2007年10月13日に初のA代表への招集を受け、更なる成長を期待されている。
[編集] プレースタイル
ブルーノ・コンティの再来との呼び声も高い小柄でスピーディーかつテクニカルなウイング。小柄でフィジカルコンタクトには強くないが、それを補ってあまりある敏捷性とテクニックを備える。左利きであるが右サイドでのプレイを得意とし、縦に抜けてのクロスよりも内に切れ込んでパスやシュートで決定機を作り上げるプレイを得意とする現代型のウイングであり現代型のファンタジスタでもある。
[編集] 所属クラブ
- ACミラン( イタリア)2000 - 2006
- →(共同保有) トレヴィーゾ( イタリア)【セリエC1,B】2000 - 2003 (69試合 / 13得点)
- →(共同保有) エンポリFC( イタリア)2003 - 2004 (28試合 / 1得点)
- →(レンタル) クロトーネFC( イタリア)【セリエB】2005 (15試合 / 1得点)
- →(レンタル) アスコリ( イタリア)2005 - 2006 (34試合 / 4得点)
- ラツィオ( イタリア)2006 - (11試合 / 1得点)
- →(レンタル) レッジーナ( イタリア)2007 (15試合 / 4得点)
- →(レンタル) カリアリ( イタリア)2007 -
[編集] 代表
2007年10月13日にイタリア代表に初招集された。
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