パウ・ガソル
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パウ・ガソル(Pau Gasol Sáez, 1980年7月6日 - )は、スペインのバスケットボール選手。スペインバルセロナ県のサン・ボイ・ダ・ジョブレガット出身。北米プロバスケットボールリーグNBAのロサンゼルス・レイカーズに所属している。身長213㎝、体重117kg。ポジションはパワーフォワード、センター。
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[編集] 経歴
[編集] NBA
2001年までスペインリーグ1部ACBのFCバルセロナでプレイした(ジュニアチームから所属している)。2001年のNBAドラフトでアトランタ・ホークスから全体3位指名を受けた後、シャリーフ・アブドゥル・ラヒームとのトレードでメンフィス・グリズリーズ入りを果たす。ルーキーシーズンにもかかわらず安定したプレーを見せ、早くもチームの中心選手となり、2001-2002シーズンのルーキー・オブ・ザ・イヤー(新人王)を受賞した。
しかし、チームはリーグの最下層チームとして低迷。デビュー2年はプレーオフにも出場できずにいたが、ヘッドコーチが名将、ヒュービー・ブラウンに交代したのをきっかけに、チーム成績は上昇。2003-2004シーズンにフランチャイズ史上初のプレーオフ進出を果たした(このときガソルの成績は下降したが、ブラウンが10人ローテーションを行ったためである)。しかしながらプレーオフではファーストラウンド敗退に終った。続く2004-2005シーズンも8位シードながらプレーオフに進出するが、またしてもファーストラウンド敗退の苦汁をなめている。
2005-2006シーズンは、大幅な入れ替えを行ったチームの大黒柱として奮起。キャリア最高の数字を残し、自身初のオールスター出場を決めた。これまではヨーロッパ出身者特有の、ビッグマンながら柔らかいシュートタッチが持ち味の1つだったが、このシーズンはアシストにも開眼。前シーズンに比べ2本以上の上昇を果たした。またチームは3年連続でプレーオフ進出を果たした。しかし、またしても1勝もできずに1回戦敗退。大黒柱として苦しい経験を味わうことになった。
世界選手権での負傷(後述)によって、2006-07シーズンの開幕には間に合わせることができなかった。当初は年明けの2007年1月の復帰と報じられたが、12月15日のホークス戦で復帰。徐々に出場時間を延ばして試合感覚を戻していった。
2007-08シーズン途中の2月、プレーオフに向けてクワミ・ブラウン、ジャバリス・クリッテントン、将来のドラフト1巡目指名権2つとのトレードでロサンゼルス・レイカーズに移籍した。[1]レイカーズが損失無く大幅な補強に成功したこのトレードは、その他のウェスタンカンファレンスの強豪チームに危機感を抱かせ、その後のシャキール・オニール、ショーン・マリオン、ジェイソン・キッド、カート・トーマスなどの大物選手のトレードの呼び水となった。
[編集] バスケットボール世界選手権
2006年8月から9月にかけて開催されたバスケットボール世界選手権日本大会ではスペイン代表として出場。スペインはダーク・ノビツキー擁するドイツ代表や開催国の日本代表などを降し、グループBを1位で通過した。ファイナルラウンドでは順当に勝ち進むもの、準決勝のアルゼンチン相手には1点差の辛勝だった。しかも、このアルゼンチン戦でガソルは負傷退場し、弟のマルク・ガソルに助けられながらベンチを後にした。診断の結果、第五中足骨を骨折。全治3ヶ月で、NBAの11月開幕までの復帰は絶望的になってしまった。スペインの決勝戦の相手は、大方の予想だったアメリカ合衆国ではなく、欧州王者のギリシャだった。スペイン代表は「Pau tambien juega(パウも共にプレイしている)」と書かれたTシャツを着て入場した。ガソルは足を引きずりながらも、ベンチから声援を送った。当初はガソル欠場で不安視されていた試合だが、スペインが圧倒的な強さを誇って序盤からギリシャを圧倒、ギリシャはアメリカ戦の疲れからかシュート成功率が非常に低かった。終わってみれば70-47の大勝で、スペインは初の「世界王者」のタイトルを勝ち取った。優勝が決定すると、ガソルは弟マルクや仲間達と抱擁を繰り返し、目に涙を浮かべながら喜びを分かち合った。
ガソルは大会のオールスターファイブ(最も活躍した5選手)に選出された。また、この中からメディア投票によって決定する大会MVPにも選ばれた。決勝は欠場したものの、ダブル・ダブルを3回記録するなどスペインを牽引し、それらの好成績が高く評価された結果といえよう。
[編集] プレイスタイル
ゴール付近で驚異的な強さを誇るビッグマン。バリエーション豊富なシュートセレクションを持っており、状況に応じてフックシュートやドライブイン、またジャンプシュートで得点を量産する。3ポイントの内側から放つミドルシュートを試みることも多い。ヨーロッパ出身選手らしくフリースローを苦手にしていない。2005-06シーズンには4.6アシストを記録するなどパスセンスにも優れている。ディフェンス面でもリバウンド、ブロックショット能力に長けており、安定した成績を残している。レイカーズ移籍まではプレーオフで1勝もできないことから、勝負弱さを指摘されていた。
[編集] 脚注
[編集] 外部リンク
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