バッターニー
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アル=バッターニー(al-Battānī)ことアブー=アブドゥッラー・ムハンマド・イブン=ジャービル・アル=バッターニー・アル=ハッラーニー・アッ=サービー(Abū ‘Abd allah Muhammad ibn Jābir al-Battānī al-Harrānī al-Sābi‘, 850年? - 929年)は、アッバース朝時代にシリアで活躍した天文学者、数学者。
彼の名はラテン語名のアルバテグニウス(Albategnius)で西洋にも知られ、月のクレーターなど多くの事物に名が残されている。
[編集] 略歴
ジャズィーラ地方の都市ハッラーン(現トルコ南部シャンルウルファ近郊)の生まれである。個人名にムハンマドという名をもつことから彼自身がムスリム(イスラム教徒)であったことは確かだが、全名に含まれる「サービー」という通称は、彼がサービア教徒の共同体に連なる出自をもつことを示唆している。
[編集] 業績
バッターニーは数学の分野では、正弦法の導入、コタンジェント表の計算、三角法の球面三角法の定理(球面幾何学)の発見など、三角関数を整理する業績を残した。
しかし彼がもっぱら活躍したのは、ヘレニズム文化からアラビア科学が継承した天文学の分野である。バッターニーはラッカにアストロラビウム(アストロラーベ)、グノーモン(日時計)、渾天儀、直径5mの高度測定器をそなえる私立天文台を設けて、41年間にわたって球面三角法を用いた正確な観測を行って、489個の星の恒星表を作った。
また、観測から黄道傾斜角や太陽の遠地点の位置が移動することを発見し、黄道傾斜角を割り出した。そのほか、
など、プトレマイオス天文学を継承発展させた。
バッターニーの天文学における代表的著作である『サービア天文表』は、彼の数理天文学の成果をまとめたものである。