ハインリヒ10世 (バイエルン公)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
ハインリヒ10世(ドイツ語:Heinrich X, 1108年頃 - 1139年10月20日)は、バイエルン公(在位:1126年 - 1139年)、のち兼ザクセン公(在位:1137年 - 1139年)。ザクセン公としてはハインリヒ2世。「尊大公(あるいは傲岸公、der Stolze)」と呼ばれる。バイエルン公ハインリヒ9世(黒公)とその妻でザクセン公マグヌスの公女ヴルフヒルトの息子。
1126年に両親が死去し、出家していた兄コンラートも既に没していたためバイエルン公となった。1127年にはドイツ王ロタール3世の唯一の子供ゲルトルートと結婚し、のちに一子(ハインリヒ)をもうけた。結婚の後、ハインリヒ10世はロタール3世とシュヴァーベン公フリードリヒ2世・コンラート兄弟の戦いに国王側について参戦した。フリードリヒ2世は1133年に降伏し、翌々年に講和が結ばれた。1136年には、皇帝となっていたロタール3世に随ってイタリア遠征に参加し、ここでの功績によってトスカーナ辺境伯に叙され、ザクセン公の相続人にも指名された。
1137年12月3日にロタール3世が死去すると、ハインリヒ10世は次代国王の有力な候補者となった。しかし強力な皇帝を嫌った諸侯により、国王にはホーエンシュタウフェン家のコンラート3世が選出された。ハインリヒ10世は新王に対してザクセン公位の承認を求めたが、彼の強大化を恐れたコンラート3世は2つの公位を兼ねるのは不法だとして拒否した。交渉は決裂し、1137年7月にハインリヒ10世は捕らえられ、翌年クヴェトリンブルク修道院で死去した。
ハインリヒ10世とゲルトルートは、ケーニヒスルター聖堂参事会教会に義父ロタール3世と並んで葬られている。
|
|
|
|
|
|