トッド・ジール
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トッド・ジール(Todd Edward Zeile、 1965年9月9日 - )は、アメリカメジャーリーグの元野球選手。主に三塁手(一塁手、捕手)。右投右打。アメリカ合衆国のカリフォルニア州ヴァン・ナイズ出身。
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[編集] 略歴
[編集] プロ入りからメジャーデビューまでの道のり
高校卒業時の1983年6月6日にドラフト30巡目でカンザスシティ・ロイヤルズから指名を受けたが契約はせず、UCLAに進学。3年後の1986年6月2日に、ドラフト2巡目でセントルイス・カージナルスから指名を受けプロ入りする。マイナーでは順調にステップアップをし、毎年2ケタ本塁打を放つ。
[編集] カージナルス・カブス時代
1989年8月18日にカージナルスでメジャーデビューを果たす。この年は28試合に出場し、打率.256を記録。8月20日にはメジャー初本塁打も放った。 1990年は、捕手を中心に144試合に出場。打率こそ.244止まりだったが、15本塁打を放つなど持ち前のパワーを発揮。 しかし守備面では失策7、パスボール10、盗塁阻止率.316と大きな課題を残した。1991年は、監督のジョー・トーリが守備面でジールより優れている、後のゴールドグラブ賞受賞者であるトム・パグノッツィを捕手で起用することを決め、ジールは打力を生かすために三塁手へコンバートする[1]。本塁打こそ減ったが打率.280、更に17盗塁を記録するなど、前年から飛躍した年となった。1992年は、打撃三部門での成績が軒並みダウンしたが、四球を68個選び、出塁率.352を記録するなど少なからず収穫のあった年となった。1993年は開幕から打点を荒稼ぎし、自身初の100打点以上を記録。ストライキのあった翌1994年は、出場試合数が113試合だったにも関わらず19本塁打を放った。1995年は、34試合の出場で打率.291、5本塁打、22打点と好調を維持していたが、6月16日に通算141勝を記録しているマイク・モーガン投手とマイナー2選手との交換で、金銭と共にシカゴ・カブスに放出された。カブスでは79試合に出場したものの、打率.227と振るわなかった。
[編集] フィリーズ・オリオールズ時代
1995年オフにフリーエージェントとなっていたが、12月22日にフィラデルフィア・フィリーズと契約した。1996年フィリーズでは134試合に出場し自身初の20本塁打を記録。しかし、8月29日に後日交換選手とのトレードでピート・インカビリア外野手と共にボルティモア・オリオールズへと移籍する。フィリーズは9月4日に後日交換選手としてカルビン・マデューロとギャレット・スティーブンソンを獲得した。オリオールズ移籍後は不調で、打率は.239止まりだった。
[編集] ドジャース・マーリンズ・レンジャーズ時代
1996年10月27日に自身2度目のFAとなる。同年の12月8日にロサンゼルス・ドジャースと契約を結んだ。移籍元年となる1997年は、久々に1つのチームでフルシーズンプレイし、自身初の30本塁打をクリアした。1998年も打率は平凡ながら、40試合で7本塁打を放つなどまずまずの出だしだった。しかし5月14日にマニュエル・バリオス投手、ボビー・ボニーヤ三塁手、ジム・アイゼンライク外野手、チャールズ・ジョンソン捕手、ゲイリー・シェフィールド外野手の計5選手とのトレードで、マイク・ピアザ捕手と共にフロリダ・マーリンズに移籍する事になった。マーリンズ移籍後は打率.291と好調だったジールだが、7月31日にマイナー2選手との交換でテキサス・レンジャーズにトレードされた。この年2度目の移籍にも関わらず、移籍後は調子をくずす事無くまずまずの成績を残している。1999年は、レンジャーズでフルシーズンプレイし、打率.293、24本塁打、98打点という素晴らしい成績を残した。
[編集] メッツ・ロッキーズ時代
1999年10月28日にFAとなったジールは、12月11日にニューヨーク・メッツと契約。三塁にはロビン・ベンチュラがいたため、メッツでは一塁を守った。2000年は22本塁打を記録したが、翌2001年10本塁打と低調な成績に終わった。ジールにとって2年連続で同じチームでフルシーズンプレイしたのは、メジャーデビューを果たしたカージナルス以来の事だった。2002年は、1月21日の大型三角トレードによってベニー・アグバヤニ外野手と金銭と共にコロラド・ロッキーズに移籍した。メッツは更にミルウォーキー・ブルワーズへグレンドン・ラッシュ投手とレニー・ハリス三塁手を譲渡。ロッキーズはクレイグ・ハウス投手とロス・グロード一塁手をメッツに放出。更にロッキーズはアレックス・オチョア外野手をブルワーズに放出。そしてブリュワーズはメッツにジェフ・ダミーコ投手、ジェロミー・バーニッツ外野手、ルー・コーリアー遊撃手、マーク・スウィーニー一塁手、そして金銭を譲渡した。このトレードにはアグバヤニ(千葉ロッテマリーンズ)と、オチョア(広島東洋カープ)という日本に縁のある選手が2人絡んでいる。更にこの2人、登録名を「ベニー」「アレックス」と、苗字ではなく名までで登録しているという共通点がある。そのロッキーズでは、打率こそ平凡だったものの18本塁打、87打点を記録した。
[編集] ヤンキース時代から引退まで
2002年10月28日にFAとなり、12月11日にニューヨーク・ヤンキースと契約した。ヤンキースでは66試合に出場したが打率.210と不調であったため、8月18日にヤンキースから戦力外通告を受け、8月20日にモントリオール・エクスポズ(現在のワシントン・ナショナルズ)と契約。34試合に出場し、まずまずの成績を残した。2003年10月26日にFAとなったジールは、2004年2月8日にメッツと契約。2004年はメッツで137試合に出場したが打率.233と、満足のいく成績は残せなかった。この年は14年ぶりに2試合ではあるが捕手としても出場した[1]。2004年11月1日にFAとなり、そのまま引退した。
[編集] 選手としての特徴
バッティング面ではパワーがウリ。30本塁打を記録した事もある。走塁面では、1991年に17盗塁をマークした事もあるが、それ以外のシーズンは少なく足の速い選手ではない。守備面では捕手としては前述の通りであるが、三塁手転向後も1993年の33失策など安定しておらず、平均以下の評価であった[2]。
[編集] 豆知識
2002年と2004年に、投手として1試合ずつ登板した事がある。2002年には1イニングに投げ、三振を1つ奪っているが、2004年は1イニングで5失点。
[編集] 年度別成績
[編集] 打撃成績
年 度 |
チ 丨 ム |
試 合 |
打 数 |
得 点 |
安 打 |
二 塁 打 |
三 塁 打 |
本 塁 打 |
打 点 |
盗 塁 |
盗 塁 死 |
四 球 |
三 振 |
打 率 |
出 塁 率 |
長 打 率 |
塁 打 |
犠 打 |
犠 飛 |
敬 遠 |
死 球 |
併 殺 打 |
O P S |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1989 | STL | 28 | 82 | 7 | 21 | 3 | 1 | 1 | 8 | 0 | 0 | 9 | 14 | .256 | .326 | .354 | 29 | 1 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0.680 |
1990 | STL | 144 | 495 | 62 | 121 | 25 | 3 | 15 | 57 | 2 | 4 | 67 | 77 | .244 | .333 | .398 | 197 | 0 | 6 | 3 | 2 | 11 | 0.731 |
1991 | STL | 155 | 565 | 76 | 158 | 36 | 3 | 11 | 81 | 17 | 11 | 62 | 94 | .280 | .353 | .412 | 233 | 0 | 6 | 3 | 5 | 15 | 0.765 |
1992 | STL | 126 | 439 | 51 | 113 | 18 | 4 | 7 | 48 | 7 | 10 | 68 | 70 | .257 | .352 | .364 | 160 | 0 | 7 | 4 | 0 | 11 | 0.716 |
1993 | STL | 157 | 571 | 82 | 158 | 36 | 1 | 17 | 103 | 5 | 4 | 70 | 76 | .277 | .352 | .433 | 247 | 0 | 6 | 5 | 0 | 15 | 0.785 |
1994 | STL | 113 | 415 | 62 | 111 | 25 | 1 | 19 | 75 | 1 | 3 | 52 | 56 | .267 | .348 | .470 | 195 | 0 | 7 | 3 | 3 | 13 | 0.818 |
1995 | ※1 | 133 | 426 | 50 | 105 | 22 | 0 | 14 | 52 | 1 | 0 | 34 | 76 | .246 | .305 | .397 | 169 | 4 | 5 | 1 | 4 | 13 | 0.702 |
1996 | ※2 | 163 | 617 | 78 | 162 | 32 | 0 | 25 | 99 | 1 | 1 | 82 | 104 | .263 | .348 | .436 | 269 | 0 | 4 | 4 | 1 | 18 | 0.784 |
1997 | LAD | 160 | 575 | 89 | 154 | 17 | 0 | 31 | 90 | 8 | 7 | 85 | 112 | .268 | .365 | .459 | 264 | 0 | 6 | 7 | 6 | 18 | 0.824 |
1998 | ※3 | 158 | 572 | 85 | 155 | 32 | 3 | 19 | 94 | 4 | 4 | 69 | 90 | .271 | .350 | .437 | 250 | 1 | 7 | 2 | 4 | 12 | 0.787 |
1999 | TEX | 156 | 588 | 80 | 172 | 41 | 1 | 24 | 98 | 1 | 2 | 56 | 94 | .293 | .354 | .488 | 287 | 1 | 7 | 3 | 4 | 20 | 0.842 |
2000 | NYM | 153 | 544 | 67 | 146 | 36 | 3 | 22 | 79 | 3 | 4 | 74 | 85 | .268 | .356 | .467 | 254 | 0 | 3 | 4 | 2 | 15 | 0.823 |
2001 | NYM | 151 | 531 | 66 | 141 | 25 | 1 | 10 | 62 | 1 | 0 | 73 | 102 | .266 | .359 | .373 | 198 | 0 | 2 | 3 | 6 | 15 | 0.732 |
2002 | COL | 144 | 506 | 61 | 138 | 23 | 0 | 18 | 87 | 1 | 1 | 66 | 92 | .273 | .353 | .425 | 215 | 0 | 7 | 3 | 1 | 27 | 0.778 |
2003 | ※4 | 100 | 299 | 40 | 68 | 10 | 2 | 11 | 42 | 1 | 0 | 34 | 54 | .227 | .308 | .385 | 115 | 0 | 5 | 0 | 3 | 6 | 0.693 |
2004 | NYM | 137 | 348 | 30 | 81 | 16 | 0 | 9 | 35 | 0 | 0 | 44 | 83 | .233 | .319 | .356 | 124 | 1 | 2 | 1 | 1 | 13 | 0.675 |
通算 | 16年 | 2158 | 7573 | 986 | 2004 | 397 | 23 | 253 | 1110 | 53 | 51 | 945 | 1279 | .265 | .346 | .423 | 3206 | 8 | 81 | 47 | 42 | 223 | 0.769 |
- ※1=セントルイス・カージナルス→シカゴ・カブス
- ※2=フィラデルフィア・フィリーズ→ボルティモア・オリオールズ
- ※3=ロサンゼルス・ドジャース→フロリダ・マーリンズ→テキサス・レンジャーズ
- ※4=ニューヨーク・ヤンキース→モントリオール・エクスポズ(現ワシントン・ナショナルズ)
[編集] 参考資料
- ^ a b "Zeile to make first start behind plate in 14 years" ESPN.com. 2008-02-24閲覧.
- ^ "2002 MLB Scouting Reports: Rockies" CNNSI.com: 2002-03-19. 2008-02-24閲覧.
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube