ダンボ
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ダンボ Dumbo |
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監督 | ベン・シャープスティーン |
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製作 | ウォルト・ディズニー |
出演者 | エド・ブロフィ ハーマン・ビング |
音楽 | オリバー・ウォレス フランク・チャーチル |
配給 | ディズニー |
公開 | 1941年10月23日 1954年3月12日 |
上映時間 | 64分 |
製作国 | アメリカ |
言語 | 英語 |
制作費 | 81万ドル |
前作 | ファンタジア |
次作 | バンビ |
『ダンボ』(Dumbo )は、1941年制作のディズニーのアニメ映画作品。アメリカでは1941年10月23日に公開している。日本では『空飛ぶゾウ ダンボ』という題名で1954年3月12日に公開された。
注意:以降の記述で物語・作品に関する核心部分が明かされています。
目次 |
[編集] ストーリー
サーカスの象のジャンボのもとに、コウノトリが一匹の赤ちゃん象を届ける。ジャンボはその小象にジャンボ・ジュニアと名づけたが、耳がとても大きく珍しい外見だったので、他の象達に笑われダンボというあだ名をつけられてしまう。
それでもジャンボは愛情をたっぷり注ぎ、可愛い我が子ダンボを大切に育てた。しかしダンボはサーカスの演技で失敗ばかりしてしまい、ますますばかにされ、仲間はずれとなる。ある日、サーカスを見に来た子供にダンボが耳を引っ張られいじめられているのを見て、母親象のジャンボはたまらずその子供に怒ってけがをさせてしまった。
ジャンボは檻に入れられ、ダンボは悲しみのどん底に落ちる。なぐさめてくれた友達のネズミ、ティモシー(チモシーマウス)と一緒にお酒の混ざった水を飲んでしまい、ピンクの象達が踊る変な夢を見てしまう。そして気がついてみると、何とダンボたちは高い木の上にいた。ダンボがその大きな耳で飛ぶことができると気付いたティモシーは、カラスたちの協力もあり、ダンボをサーカスで飛ばせることに成功する。勇気を振り絞りサーカスでも飛んで見せたダンボはアメリカ中の人気者になり、最後は母のジャンボともめでたく再会する。ちなみに、ティモシーはハリウッドと契約を結んだ。
[編集] スタッフ
- 監督:ベン・シャープスティーン
- 動画監督:ウォード・キンボール
- 製作:ウォルト・ディズニー
- 脚本:ジョー・グラント、ディック・ヒューマー
- 脚色:オットー・イングランダー、ビル・ピート
- 作詞:ネッド・ワシントン
- 音楽:オリヴァー・ウォーレス、フランク・チャーチル
[編集] キャスト
- ティモシー:エドワード・ブロフィ(吹き替え:牛山茂)
- 団長:ハーマン・ビング(吹き替え:内田稔)
- メイトリアーク:ヴァーナ・フェルトン(吹き替え:久保田民絵)
- コウノトリ:スターリング・ホロウェイ
- ダンディ・クロウ:クリフ・エドワーズ
- キャティ・ジョー:ビリー・シーツ(吹き替え:北城真記子)
- ジャンボ:?(吹き替え:磯辺万沙子)
[編集] 挿入歌
- ケイシー・ジュニア(Casey Junior)
[編集] メモ
- ダンボ公開の1941年は、欧州では第2次世界大戦が既に始まり、太平洋戦争開戦直前の日米間の緊張もピークに達していた頃であった。真珠湾攻撃の直後を描いたスピルバーグ監督作品『1941』では、米陸軍の将軍が劇場で公開中のダンボを鑑賞し、母子の愛情に涙するシーンがある(もちろんコメディなのだが)