ソコロ
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ソコロ(Socorro)はアメリカ合衆国ニューメキシコ州ソコロ郡の都市。リオグランデ川流域の4579フィート(1396メートル)の高度に位置している。人口は2000年の国勢調査で8,879人。ソコロ郡の郡庁所在地である。
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[編集] 歴史
[編集] ソコロの由来
1598年6月、フアン・デ・オニャーテは、現在のソコロの町のちょうど南で終わる砂漠の荒れ果てた一区画のホルナダ・デル・ムエルトを通ってスペイン人入植者の集団を率いてきた。
スペイン人が砂漠から現れると、テイパナのピロ・プエブロインディアンはスペイン人に食べ物と水を与えた。そのため、スペイン人はこのプエブロをスペイン語で「救済」を意味する「Soccoro」(ソコロ)と名付けた。後にソコロという名は、近隣のピラボーのピロ・プエブロにも適用された。
このエリアの最初のカトリック伝道所のヌエストラ・セニョーラ・デ・ソコロは、恐らく1626年頃に創設された。アウグスティン・デ・ベンタンクルト修道士は後に、この時代にはおよそ600人がこの地域に住んでいたと書いた。
1680年のプエブロの反乱の間、スペインの避難民たちはソコロのプエブロに立ち寄った。多くのピロ・プエブロたちは、スペイン人が安全のために南へ立ち去るのに同伴した。スペイン軍部隊の保護はなく、ソコロは破壊されて残ったピロ・プエブロたちはアパッチと他の部族に殺された。
スペイン人がニューメキシコを再び制服した時、彼らは当初ソコロに再定住しなかった。19世紀まで、エルパソを除いて、ソコロのおよそ30マイル北のサビナル(w:Sabinal, Texas)の南にはスペイン人入植地はひとつもなかった。1800年、フェルナンド・チャコン総督は、地域にソコロと他の村へ定住する命令を出した。しかしソコロには1815年まで誰も定住しなかった。
1817年、70名のベリン(w:Belen, New Mexico)の居住者が、ソコロの土地を王室に請願した。1833年、ソコロの人口調査は400人以上を記録し、村の付近には合計して1,774人が住んでいた。サン・ミゲル・デ・ソコロ伝道所(w:San Miguel de Socorro)はソコロが再び定住されたすぐ後に創設された。教会は古いヌエストラ・セニョーラ・デ・ソコロの跡地に建設された。
[編集] 19世紀
1870年代後半から1881年まで、有名な執行官でガンマンのダラス・ストウデンマイアは、ソコロの町の執行官として務めた。
[編集] 地理と地質
ソコロは リオグランデ川とマグダレナ山脈の間のおよそ6000フィートの垂直な起伏を取り囲む。主な近接した場所には、シボラ国有林、土地管理局のクエブラダス ・シーニックバイウェイ(Scenic Backcountry Byway)、ボスケ・デル・アパッチとセビリェタ国定鳥獣保護区がある。アメリカ合衆国国勢調査局によると、都市の総面積は37.4 km² (14.4 mi²)で、そのうち37.3 km² (14.4 mi²)が陸地面積で、全体の0.21%の0.1 km² (0.04 mi²)が水面積である。
(34.061759、-106.899424)の位置で4,605フィートの平均高度にある。町はリオグランデ地溝と多数の死火山が優位を占める地勢のリオグランデ川に近接している。周辺地域は[編集] 人口動勢
基礎データ
人種別人口構成
世帯と家族(対世帯数)
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年齢別人口構成
収入と家計 |
[編集] ニューメキシコ工科大学
ソコロは、州の科学と工学専門とした学部と大学院(博士号付与)のあるニューメキシコ採鉱技術学会(ニューメキシコ工科大学)の本拠地である。ニューメキシコ工科大学は、エネルギー物質研究試験センターほか、数々の大きな研究センターを主催している。キャンパスにはまた、超大型干渉電波望遠鏡群の本部が設置されている。超大型干渉電波望遠鏡群自体はソコロの西、マグダレナとデイティルの間に位置している。エルパソのテキサス大学のフットボールチームは、ここ5年間はここでキャンプをしている。
[編集] ザモラUFO事件
ソコロはよく報道されたUFO事件の場所として有名である。1964年4月24日、近くの丘を越えて来る明るいフラッシュとやかましい唸る音を聞いたと地元の警察官のロニー・ザモラが主張した時、彼はソコロの郊外でスピード違反者を追跡していた。雑音はダイナマイト小屋の爆発から来ているものだと信じて、ザモラは丘へと車で向かった。彼は、奇妙なシンボルを上につけた金属の楕円形の形をした物体を見たと主張した。彼はまた、「白い作業着」のようなものを来た二人の「小さな男たち」が物体の外の周りを歩いているのを見たと主張した。彼らがザモラを見た時、「男たち」は物体に乗り込み、ザモラのパトカーを振動させた唸り音と炎を立てながら立ち去った。これと同じことが数週間後に報告され、2名が宇宙人に殺されたと信じられている。
ザモラは彼の無線で助けを呼んだ。ニューメキシコ州警察のM・S・チャベス巡査部長はすぐに登場した。チャベスは後に、周囲の低木の一部がひどく燃えていて、地面に奇妙なマークがつけられており、ザモラは「脅迫された」ように見えたと言った。UFOの謎の合衆国空軍の公式機関であるプロジェクト・ブルーブックは捜査官をソコロに向かわせた。彼らはザモラとチャベスにインタビューをし、想定された着陸地点を確認した。プロジェクト・ブルーブックの監督であるヘクター・キンタニリャは、後に「ロニー・ザモラが彼にかなりの印象を与えた物体を見たことは疑いがない。ザモラの信頼性については疑問がない」と書いた。しかしながら、2人の著名なUFO懐疑論者が、両者ともザモラの目撃例のために様々な説明を提示した。ドナルド・メンゼル博士は2つの説明を提示した。ザモラは地元のティーンエイジャーによる精巧な悪戯の犠牲者であったか、または実際に起こった塵旋風を見たか。アビエイション・ウィーク誌の編集者のフィリップ・クラスは、ザモラと当時のソコロの市長が、ソコロに旅行者を呼び寄せるために事件をいたずらしたと主張した。UFO研究家はこれらの説明について議論している。
[編集] メディアへの露出
ソコロは1974年の映画「アリスの恋」(w:Alice Doesn't Live Here Anymore)で 、エレン・バースティンが演じるキャラクターが町を去ってツーソンに行くという設定で、いくらか軽蔑的な意味で言及された。映画の冒頭、バースティンのキャラクターの夫の不慮の事故の後のシーンは、ソコロであると含意されているが、実際にはツーソンで撮影された。
1971年のロジャー・コーマン監督の映画「w:Gas-s-s-s」は、ニューメキシコ工科大学のゴルフカートを用いたとてもおかしいシーンを含めて、ソコロとその周辺で撮影された。
女優のジョディ・フォスターは、映画「コンタクト」で、町の50マイル西にある超大型干渉電波望遠鏡群での撮影中、ソコロに滞在した。
[編集] エルフェゴ・バカ・ゴルフシュート
エルフェゴ・バカ・ゴルフシュート(Elfego Baca Golf Shoot)は、現在のニューメキシコ州リザーヴ近くで起こった、合計36時間にわたる4,000発以上の弾丸を伴った銃撃戦を生き残った、元ソコロ市長のエルフェゴ・バカにちなんで名付けられた。M山としても知られる高さ7,243フィートのソコロ峰からティーアップして、ゴルファーはおよそ3マイル離れたところにある一つの穴へ向かって、垂直で2,550フィート下側へ進む。ガラガラ蛇、ブヨ、サボテン、不安定な地勢、そしてニューメキシコの太陽と熱をかいくぐり、ゴルファーはホールアウトを目指す。