ジョン・マッデン (アメリカンフットボールコーチ)
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ジョン・マッデン(John Earl Madden、1936年4月10日 - )は、アメリカンフットボールの元指導者、現解説者。2006年、プロフットボールの殿堂入りした。
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[編集] プロフィール
1958年のNFLドラフトで21巡目でフィラデルフィア・イーグルスから指名されたが怪我のため1年で現役を去っている。1969年、当時史上最年少(33歳)でAFL(当時。現在はNFL所属)オークランド・レイダーズのヘッドコーチに就任。1978年までの10年間でスーパーボウル制覇は1度(第11回大会)のみだが、レギュラーシーズンの通算成績は103勝32敗7分、勝率.750は100勝以上を挙げたヘッドコーチとしては最も高い。プレイオフを含めてもグリーンベイ・パッカーズを率いた伝説的名将ビンス・ロンバルディに次ぐ成績である。
1979年よりCBSで解説者としてのキャリアをスタート。1981年、実況のパット・サマオールとコンビを組みNo.1に昇格(複数の実況・解説者を抱える放送局では、原則として序列が上の実況・解説コンビが常に重要度の高い試合を担当する)して以来、現在に至るまで全米No.1の人気を誇る。
1994年、NFCの放映権がCBSからFOXに移るとともにパット・サマオール共々移籍。2002年には新たにアル・マイケルズとコンビを組み、ABCマンデーナイトフットボールを担当していたが、ABCのNFL中継からの撤退で2006年からアル・マイケルズ共々NBCサンデーナイトフットボールを担当することになり、全米4大ネットワークのすべてで解説を務めることになった。
プロフットボール殿堂入りに先立ち、2002年にはテレビ・ラジオを通じてNFLに貢献した人物に贈られるピート・ロゼール・ラジオ&TV賞(w:en:Pete Rozelle Radio-Television Award)を受賞している。
大の飛行機恐怖症で、シーズン中は「マッデン・クルーザー」(Maddencruiser)と呼ばれる大型バスをベースとしたキャンピングカーで全米中を移動している。そのため、アロハ・スタジアム(ハワイ州ホノルル)で行われるプロボウルの解説は担当しない。
[編集] Madden NFL
1989年よりマッデンが解説を担当しているゲームソフトである「Madden NFL」シリーズ(EA)はEntertainment Software Association(ESA)による2005年の全米ゲームソフト年間販売数ランキングでは「Madden NFL 06」のPS2版が1位、Xbox版が3位にランキングされた。2006年の同ランキングでは「Madden NFL 07」のPS2版が1位、Xbox360版が5位、Xbox版が20位にランキングされている。
しかし毎年ゲームの表紙となる選手はケガで不本意な成績を残すことから「Maddenの呪い」「Maddenジンクス」と言われている。 2003→マーシャル・フォーク。怪我で成績を大きく落とし、チームもプレーオフを逃す。この怪我をきっかけに急速に能力が衰えていく。この年からジンクスが始まった。
2004→マイケル・ヴィック。怪我でシーズンを棒に振り、チームもプレーオフを逃す。
2005→レイ・ルイス。怪我でシーズンを棒に振り、チームもプレーオフを逃す。
2006→ドノヴァン・マクナブ。怪我でシーズンを棒に振り、前年度スーパー・ボウル出場チームながらプレーオフを逃す。さらにこの怪我が尾を引き、キレを失い全盛期のダイナミックなプレイが出来なくなった。
2007→ショーン・アレキサンダー。怪我で爆発力を失い、成績を大きく落とす。さらにエース欠場にもかかわらずチームは3年連続地区優勝を果たしてしまったため、アレキサンダー不要論がささやかれている。
2008→ビンス・ヤング。チームはプレーオフ進出を果たし、インターセプトは相変わらず多いものの、前年度より成功率やレイティングを上げた。初めてジンクスを乗り越えた選手と言える。
このようなジンクスがあることからMaddenの表紙にオファーされても断るスター選手もいる。サンディエゴ・チャージャーズのランニングバック、ラディニアン・トムリンソンはこのことから絶対に表紙のオファーを受けない。
[編集] 関連項目
- オークランド・レイダーズ
- NFL on CBS(1979年 - 1993年)
- NFL on FOX(1994年 - 2001年)
- マンデーナイトフットボール(2002年 - 2005年)
- NBCサンデーナイトフットボール(2006年 - 現在)