ジョセフ・ヘンリー
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ジョセフ・ヘンリー(Joseph Henry、1797年12月17日 - 1878年5月13日)はアメリカの科学者。イギリスのマイケル・ファラデーとほぼ同時期に電磁誘導を発見した。スミソニアン協会の初代会長として、米国の科学振興に尽くした。電磁誘導(インダクタンス)の単位ヘンリーに、その名をとどめる。
[編集] 生涯
1797年、スコットランド系の両親の間にニューヨーク州オールバニでうまれた。家庭は貧しく、13歳で学校をやめ、時計屋の見習いとして働かなくてはならなかった。16歳の時、Popular Lectures on Experimental Philosophyという科学書によって、向学心に目覚め、オールバニアカデミーに入学し、医学を学んだ。さらに、1825年からは工学を学んだ。1826年、同アカデミーの数学、物理学の教授に就任。1832年にはニュージャージー・カレッジ(後のプリンストン大学)の自然哲学教授に就任した。
1829年、絹によって絶縁した銅線を鉄芯に巻きつけることで、強力な電磁石をつくった。絶縁体として用いた絹は、妻のスカートを裂いて作ったとされる。1831年には巻数400回の電磁石で、338kgの物体を持ち上げることに成功。更に同年、1トンの物体を持ち上げることまで成功した。
1830年、マイケル・ファラデーより先に電磁誘導を発見したが、発表が遅れたため、発見の功はファラデーに譲ることとなった(1831年)。しかし、ヘンリーは更に実験を推し進め、1832年に自己誘導を発見した。さらにこれらの研究を基に、電磁石を用いたモーターを発明した。
ヘンリーは多くの発明をしたが、一切特許化はせず、これらの成果をもとに他の人間が製品化することを大いに援助した。1835年にヘンリーが発明した継電器(リレー)は電信機の発明(1837年)の基礎となった。このサミュエル・モールスによる発明に対し、ヘンリーは多くの支援を行った。
1842年、ライデン瓶の放電による電磁振動を発見。
1845年から47年にかけて、太陽黒点の観察を行い、黒点が周囲より温度が低いことを明らかにした。
晩年は、米国の科学振興に尽くした。1846年、スミソニアン協会の初代会長に就任。天気予報を行うため気象局を組織した。また、灯台委員会を組織し、灯台で用いる信号の改良を行った。1868年、全米科学アカデミー初代総裁に就任、生涯その地位にあった。
1878年、ワシントンD.C.にて死去。電磁気学における彼の業績を記念して、1893年電磁誘導係数(インダクタンス)の単位はヘンリーと名づけられた。
[編集] 参考文献
- 『物理学はこうして創られた』 竹内均著 株式会社ニュートンプレス ISBN 4-315-51638-4