ジェルメーヌ・ド・フォワ
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ジェルメーヌ・ド・フォワ(Germaine de Foix, 1488年 - 1538年10月18日)はアラゴン王フェルナンド2世の2度目の王妃。スペイン語名はヘルマナ(Germana de Foix)。フランス貴族フォワ伯家の出身で、父はナルボンヌ子爵ジャン・ド・フォワ、母はフランス王ルイ12世の姉マリー・ドルレアン。弟ガストン・ド・フォワはフランスの将軍として活躍した。
1504年に先妻であるカスティーリャ女王イサベルを亡くした後、後継者問題に悩まされていたフェルナンド2世は、新たな男子をもうけようと翌1505年にジェルメーヌと再婚した。1509年に生まれた息子フアンはすぐに夭逝し、以後は子供が得られなかった。
フェルナンド2世がジェルメーヌと再婚したのは他にも理由があった。ジェルメーヌの父ジャン・ド・フォワの母はナバラ女王レオノールであり、それを根拠としてナバラ王国を獲得するためであった。フェルナンド2世は1512年にナバラ侵攻のため軍勢を派遣し、1515年に征服が完了した。ジェルメーヌの従姉であるナバラ女王カタリナと夫フアン3世(ジャン・ダルブレ)はフランスへ逃れた。
フェルナンド2世が1516年に亡くなると、王位に就いたのは孫カルロス1世(のち神聖ローマ皇帝カール5世となる)だった。彼は、まだ若い義理の祖母ジェルメーヌを、ヨハン・フォン・ブランデンブルク(ブランデンブルク選帝侯ヨアヒム1世の従弟)と結婚させることにし、2人はバルセロナで式を挙げた。1523年、2人はカールによりバレンシア総督とされた。
1526年にジェルメーヌはヨハンと死別したため、今度はカラブリア公フェルディナンド(ナポリ王フェデリーコ1世の息子)と再々婚した。2人は引き続きバレンシア総督を務め、芸術と音楽の後援者となった。1538年にジェルメーヌは亡くなり、そののちもカラブリア公は1550年に亡くなるまで総督を務めた。