シニード・オコナー
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シニード・オコナー(Sinéad Marie Bernadette O'Connor, 1966年12月8日 –)は、アイルランド出身のミュージシャンである。 カナでの名前の表記にはゆれがあり、デビュー当時日本ではシンニード・オコナーと表記されていた。 また、シネイド・オコナーと表されることもある。
ダブリン生まれ。 両親の不仲と離別、カトリックの厳格な生活に対する反発によってすさんだ少女時代を過ごしたことは、その後のオコナーの公私の活動に大きな影響を与えることになった。 母親の事故死の後、ロンドンに移って音楽活動を続けた。 1987年のファースト・アルバム「ザ・ライオン・アンド・ザ・コブラ」 (The Lion and the Cobra) は穏やかさと攻撃性とが去来する作風の曲が特徴である。 こうしたアンビバレント性はスキンヘッドという彼女のスタイルにも、カトリックに対しての愛憎の念が入り混じる言動にも表れている。 ちなみに、"the lion and the cobra" は旧約聖書の詩篇に現れる言葉で悪魔の隠喩である。
1990年のセカンド・アルバム「蒼い囁き」 (I Do Not Want What I Haven't Got, 1990年) からシングルカットされたプリンスのカバー曲「愛の哀しみ」 (Nothing Compares 2 U) が世界中で大ヒットし、アルバムは英米で1位を記録した。 デビュー当時から過激な言動を繰り返してきたが成功後もそれは変わらず、例えばアメリカのツアー会場で習慣となっていたコンサート前のアメリカ国歌を拒否して騒がれた。 とりわけ1992年10月「サタデー・ナイト・ライブ」の生放送中に「真の敵」だとしてローマ教皇ヨハネ・パウロ2世の写真を破ったことにより大きな物議を醸し、直後のボブ・ディランのトリビュート・コンサートに参加した際には大ブーイングを浴びながら一人だけボブ・マーリーの曲を歌うことになった。
その後は過激さは影をひそめ、さらに1999年にはキリスト教系の新興宗教団体の「女性司祭」となって人々を驚かせた。 発表作もレゲエやアイリッシュ・トラディショナル、スタンダードのカヴァーなど伝統的な色彩が濃くなっている。 2003年に一旦引退を発表し音楽活動を休止していたが2005年にレゲエのカヴァー・アルバム「スロウ・ダウン・ユア・アームズ」 (Throw Down Your Arms) で復帰した。
[編集] ディスコグラフィー
- ザ・ライオン・アンド・ザ・コブラ (The Lion and the Cobra, 1987年)
- 蒼い囁き (I Do Not Want What I Haven't Got, 1990年)
- 永遠の詩集 (Am I Not Your Girl? 1992年)
- ユニバーサル・マザー (Universal Mother, 1994年)
- ソー・ファー…ベスト・オブ・シニード・オコナー (So Far...The Best of Sinéad O'Connor, 1997年)
- 生きる力 (Faith and Courage, 2000年)
- 永遠の魂 (Sean-Nós Nua, 2002年)
- She Who Dwells in the Secret Place of the Most High Shall Abide Under the Shadow of the Almighty(2003年)
- コラボレーションズ (Collaborations, 2005年)
- スロウ・ダウン・ユア・アームズ (Throw Down Your Arms, 2005年)