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サカモトデュラブ - Wikipedia

サカモトデュラブ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

サカモトデュラブ
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品種: サラブレッド
性別:
毛色: 鹿毛
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生誕: 1993年4月9日
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父: デュラブ
母: サリアシンゲキ
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生国: 日本北海道浦河町
生産: 久保農場
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馬主: 高橋正→濱口政一
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調教師: 伊藤和(岩手)→甲田守(高知)
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競走成績
生涯成績: 104戦16勝
獲得賞金: 1億2472万円
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サカモトデュラブ日本の地方競馬に所属した元競走馬種牡馬デュラブの日本での初年度産駒であり、同じ初年度産駒であるシンコウウインディと共にデュラブの名前を競馬界に知らしめた1頭である。

目次

[編集] 戦績

[編集] 3歳時(1995年)

1995年水沢競馬場でデビュー。圧倒的スピードで逃げ切るレーススタイルで3連勝、初めてのJRA挑戦となったダリア賞で2着、G3の新潟3歳ステークスで3着、福島3歳ステークスで5着の好成績を残したが、1600mの距離で戦った地元のレースではことごとく惨敗を喫する。

[編集] 4歳時(1996年)

シーズン明け初戦となったダート1600m戦のスプリングカップでも惨敗した事から、次走はダート1200mの古馬オープン戦に挑戦し2着、4歳特別の七時雨賞で1秒差の圧勝。トパーズカップで初めて1600m戦で1着となったが、その他のレースでは惨敗と極端な成績が続いた。

[編集] 5歳時(1997年)

地元の番組ではこの馬にとって適した番組が少ないので、この頃から遠征に出る事が多くなる。札幌(道営開催)の北海道スプリントカップで5着、大井の東京盃では2着と好走したものの、続くJRAの根岸ステークスで大敗。シーズン未勝利に終わる。ちなみに、この頃から右回りの短距離に適性があることがはっきりとしてきた。

[編集] 6歳時(1998年)

右回りの短距離戦を求めて臨んだJRAのガーネットステークスで大敗、平坦な右回りコースの短距離が向いている事が明らかとなる。その後適性に合うレースが無かったが、北海道スプリントカップで最低人気ながら2着に入る波乱を演出、続く早池峰賞で1996年11月以来となる1着を挙げる。東京盃では4着と好走したものの、全日本サラブレッドカップでは最終コーナーまで先頭グループにいたものの直線で力尽き最下位に終わり、その後休養に入る。

[編集] 7歳時(1999年)

半年近い長期休養の影響か、復帰後は全く状態が上がらなかったが、東京盃で1枠からマイペースで逃げ、直線で迫るビコーミニスターをクビ差抑え1着、一躍GⅡウイナーとなった。しかし、その後のレースでは惨敗続きで、年末の桐花賞では1着に11.9秒差という大敗を喫する。

[編集] 8歳時(2000年)

1200m戦の姫神賞で5着になった以外、出るレースほぼ惨敗続き。東京盃では後方からの競馬となり12着、桐花賞では昨年を上回る1着に12.6秒差で敗れ、このレースを最後に高知競馬に移籍。

[編集] 新年齢8歳時(2001年)

7月、高知での移籍初戦(サラA級)は7秒差の大敗、続くレースでも同じような大敗を喫し、その後E級に降格。さすがにここでは格が違い、距離も守備範囲であることから勝ち負けの連続。

[編集] 新年齢9歳時(2002年)

D級に昇格しても勢いは止まらず連勝を4まで伸ばしたが、C級昇格後は重・不良馬場では惨敗し、良・稍重馬場では勝ち負けを演ずる。

[編集] 新年齢10歳時(2003年)

この年に入っても重・不良馬場に苦しめられる一方、良・稍重馬場では好走するという成績が続いた。2003年12月22日、良馬場で行われたBC混合戦7着のレースを持って引退。2004年1月20日地方競馬登録抹消。

[編集] 主な勝鞍

[編集] 脚質・適性

  • デビュー時は、ずば抜けたスピードに任せて逃げるレース振りが目立っていたが、次第に折り合って逃げるレースが出来るようになり、晩年、高知では差しに構える競馬が出来るようになった。
  • スピードを生かす競馬をするタイプであったので、スピードが殺されない平坦なコースの短距離を芝ダート問わず得意としていた。また、左回りがあまり得意ではなかった(実際、同馬が使われていた左回りコースが盛岡競馬場と東京競馬場で、直線に坂があったのが得意ではない理由とも考えられる)ので、同馬が活躍出来る舞台が相当限られていた。


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