コーカン
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コーカン(Kokang(ビルマ語)、果敢(漢語))はミャンマーシャン州北部の漢民族集住地区で西はサルウィン川、東は中国雲南省に接する。総面積約2700平方キロ。1989年のビルマ共産党瓦解後現地勢力はミャンマー中央政府に帰順しコーカンはその大部分がシャン州第一特別区となった。
特別区正式名称: 「ミャンマーシャン州第一特区(コーカン)」 特別区代表者: Pheng Kya Seng(彭家声) ポストは「主席」 特別区政府所在市: ラオカイ 地域内共通言語: コーカン語(なまりのある北京語に近い) 行政組織: 中央委員会-県-区-郷-村-(組)
特別区は、軍事政権側がビルマ共産党の下で反政府活動をしていた少数民族側に、帰順の取引条件として優先的に開発支援を受け一定の自治を認める地区としたものである。特別区は中央委員会を有し、そこでの合議制で特別区の運営が決められていく。MNDAA(Myanmar National Democratic Alliance Army:緬甸民族民主同盟軍)は帰順時には約4000名の兵士がいたが、その後ミャンマー中央政府の削減圧力もあり、2000名以下に縮小。
2003年のコーカン地区の人口は特別区政府によると約14万人であった。その内ミャンマー人は10万人前後で、その他は中国人と思われる。ミャンマー人の中では漢民族が90%前後を占める。コーカンの漢民族は華僑と異なりミャンマーの先住少数民族と認定され、コーカン族と称される。その他にシャン族、パラウン族、ミャオ族、ワ族、リス族、ペー族、ビルマ族などが住む。ビルマ族はそのほとんどが任期を定めて派遣されている政府派遣の軍人、地方官およびその家族と小学校教師、農業指導員、医療従事者など公共サービス要員である。 2000年のコーカン地区人口は約18万人と報告されているがその後の減少は、ケシ栽培の縮小・禁止により景気が悪くなったことにより多くの中国人が中国側に戻ったための減少であると思われる。
コーカン地区の多数派であるコーカン族は、約400年前中国の明朝末期に迫害されて雲南省まで逃げてきた民族が起源といわれている。実際には、そうした正統派コーカン族に加え、四川省から流入した形跡もある。また第2次大戦後に中国雲南省から移住し、そのまま現在に至るまですみ続けている中国人も「コーカン族」と自称している。
コーカン地区では2003年にそれまで段階的に削減していたケシの栽培が全面的に禁止となった。その結果、この年食料や医薬品の不足を背景にこの地区の山間部を中心にマラリアが大流行し、279人の死亡が報告されている。このとき、中国側から巡回医療チームが派遣され、同時に医薬品も供与された。また、この年からWFPは食糧支援を続けている。日本政府は2005年5月より、国際協力機構(JICA)がケシ栽培の復活防止と貧困のどん底に陥った山村農民の生活再建のための総合的な技術協力プロジェクト「コーカン特別区麻薬対策・貧困削減プロジェクト」を進めている。 日本政府の総合援助プロジェクトの一環である基幹道路整備は、2007年5月にダーシュイタンとコンジャン間約42km の道路補修工事が完了し、コンジャンまで車で2時間半でいけるようになった。それまでは、雨季になると半日かかり、降雨が続くといけなくなることもあったコンジャンへのアクセスが大きく改善されつつある。その結果、農業緊急支援としての肥料配布や、WFP やNGO がおこなっている食糧配給などの支援も入りやすくなってきている。さらにコンジャン地区では2005年から茶の価格が上昇し、農家所得も向上してきている。この茶ビジネスを後押ししたのが、道路改善である。
現在はJICAの他、WFP、NGO(World Vision, CARE, AMDA, ADRA, AZG)が支援活動行っている。