コシャマイン
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コシャマイン(胡奢魔尹、アイヌ語:コサマイヌ Kosamaynu、 ? - 1457年)は、室町時代中期の蝦夷(アイヌ)の首長。オシャマンベの人。
1456年(康正2年)志苔(しのり、志濃里とも書く、現在の北海道函館市志海苔町)の鍛冶屋村で、マキリというアイヌの小刀の切れ味の良し悪しをめぐり、アイヌの少年が和人(本州側の人)に殺されたことを契機として、翌1457年(長禄元年)5月に道南のアイヌを率いて蜂起した。小林氏の志苔舘を手始めとして、箱館・中野館・脇本館など12の館のうち10ヶ所を攻め落としたが、和人側の反撃を受け、花沢館主(たてぬし)蛎崎季繁の客将武田信広により射殺された。