グレン・マトロック
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
グレン・マトロック(Glen Matlock、1956年8月27日 - )は、セックス・ピストルズオリジナルメンバーでシド・ヴィシャス加入前のベーシスト。メンバー中、唯一作曲能力があり、初期ピストルズのヒットナンバーに貢献した。
ピストルズの楽曲のほとんどを作曲し、ライブでも「ライアー」などでは超タイトでグルーヴするベースラインを弾いている。しかし、他のメンバーと比べ、世間的常識があり、月並みの向上心があったため、メンバー内で浮き上がってしまう。特にジョニー・ロットンとの仲は最悪となり、1977年に脱退。
バンド・マネージャーのマルコム・マクラーレンは、表向きにはプレスにマトロックの脱退理由を「ポール・マッカートニーのファンであることが判明したため」と説明した。「実際、バンドとしては、演奏ができるよりは出来ない方がよいのだ」と確信を持って語るマクラーレンにしてみれば、唯一演奏のうまいマトロックの脱退と演奏能力ゼロのシド・ヴィシャスの加入は、もってこいの展開だったに違いない。
マトロックはその後、「リッチ・キッズ」を結成、さらにイギー・ポップのバックに参加するなどしたが、やはり際立った存在にはなれなかった。またピストルズにおける自分の後釜となったシド・ヴィシャスとは最後まで友好的な関係を続け、彼を支援するための期間限定バンド「ヴィシャス・ホワイト・キッズ」にも参加・協力している。
一方、ピストルズはシド・ヴィシャス加入後、ロックンロール・サーカスを繰り返した後、アメリカツアーを最後に空中分解することとなる。後年、スティーブ・ジョーンズが「グレンの脱退がなければピストルズもあんなに早くは解散しなかった」と語ったとおり、マトロックの脱退がピストルズにとって大きな損失であったことを示している。しかし、このバンドが現在まで語り継がれるセンセーショナルな存在になったのはシド・ヴィシャスの影響が大きいのも確かであり、このあたりの判断は微妙である。
1996年ピストルズ再結成時に、マトロックはベーシストとして参加。マトロックが執筆した『オレはティーンエィジャーのピストルズだった』[1]」は、おそらくピストルズの内幕を一番正しく伝えている内容の本であり、ピストルズファン必読である。
[編集] 脚注
- ^ 『オレはセックス・ピストルズだった』 ISBN 978-4276234826