ギーセン大学
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ギーセン大学( - だいがく)は、1607年にヘッセン=ダルムシュタット領のギーセンに設立された大学である。 隣接するヘッセン=カッセル領のマールブルクにあるもう一つの大学マールブルク大学がカルバン派の大学であったのに対して、ルター派の大学として設立された。
かつては大学を設立したヘッセン=ダルムシュタット方伯ルートヴィッヒ5世にちなんで Ludoviciana と呼ばれていたが、戦後に「農芸化学の父」とも呼ばれた19世紀の化学者ユストゥス・フォン・リービッヒにちなんで、現在の公式名 Justus-Liebig-Universität Gießen (ユストゥス=リービッヒ大学ギーセン校)に改名された。
19世紀の半ばが全盛期だったが、ヘッセン=ダルムシュタット領が小さな所領であったので、小規模で財政の乏しい大学となり、有能な教授が他の大学で席を得るための「踏み台 (stepping-stone university)」となってしまった。
1929年にヘッセン州が統合されて、マールブルク大学とともに国立大学となった。現在の学生数は学生数約22,000人、職員数 8,500人の大学である。ギーセンはドイツでは学生の比率の最も多い街である。
有名な教授としてはリービッヒの他に Adolf von Harnack、ルドルフ・フォン・イェーリング、Etienne Laspeyres、ヴィルヘルム・レントゲン、クルト・コフカ、 Friedrich Gottlieb Welcker、Eberhard Schraderなどがいた。
主な出身者はゲオルク・ビュヒナー、Georg Gottfried Gervinus、 Johann Jacob Dilleniusがいる。