ギヨーム・ルクー
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ギヨーム・ルクー(Guillaume Lekeu, 1870年1月20日 - 1894年1月21日)はベルギー生まれの作曲家。セザール・フランクの最後の弟子として将来を嘱望されたが、24歳で夭折した。感受性豊かで情熱的な筆致が特徴。
ベルギーのヴェルヴィエ生まれ。6歳からピアノとヴァイオリンを始め、後にチェロも学んだ。1879年に両親とともにフランスのポワティエに移り住み、1885年に当地のリセに進学。リセの物理教師からバッハ、ベートーヴェンの後期作品とワーグナーの音楽を教えられ、彼らの作品に強く惹かれていたという。1888年にパリに出る。翌1889年からセザール・フランクに作曲を師事。フランクが1890年に没した後はヴァンサン・ダンディに師事する。1891年、ダンディの勧めでローマ賞コンクールに出品したカンタータ『アンドロメダ』でローマ賞第2位となる。しかし1位になれなかったことに落胆したルクーは、受賞を辞退したという。『アンドロメダ』の抜粋をブリュッセルで聴いたヴァイオリニストのウジェーヌ・イザイはヴァイオリンソナタの作曲を委嘱し、初演も行った(献呈もされた)。同じくイザイから委嘱を受けたピアノ四重奏曲を作曲中に24歳の若さで腸チフスのため没。
ルクーの残した作品は断片なども含めると100余りある。イザイから依頼を受けて作曲したヴァイオリンソナタがとくによく知られる。このほか、完成された第1楽章と未完の第2楽章(ダンディが補筆して完成)からなるピアノ四重奏曲、弦楽四重奏曲、ピアノ三重奏曲、チェロソナタなどの室内楽やルクー自身も歌詞を書いた多くの歌曲がある。