キュチュク・カイナルジ条約
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キュチュク・カイナルジ条約(Договорът от Кайнарджа, Кючуккайнарджийския договор, The Treaty of Kuchuk-Kainarji)は1774年にオスマン帝国とロシア帝国と結んだ露土戦争後の条約。ブルガリアのキュチュク・カイナルジ(トルコ語:キュチュク・カイナルジャ Küçük Kaynarca)で結ばれた。
この条約でオスマン帝国はロシアに黒海の支配権を奪われ、クリミア・ハン国の支配権を放棄させられた。さらに、オスマン帝国は、帝国内に住む正教会信徒の保護権をロシアに与えたため、以後これが内政干渉の口実となった。