カール13世 (スウェーデン王)
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カール13世(Karl XIII, 1748年10月7日 - 1818年2月5日)はホルシュタイン=ゴットルプ朝最後のスウェーデン王(在位:1809年 - 1818年)。ノルウェー王としてはカール2世(在位:1814年 - 1818年)。アドルフ・フレドリクの子でグスタフ3世の弟。
前王グスタフ4世アドルフ はナポレオン戦争とロシア・スウェーデン戦争(1808年-1809年)での敗北を受け、立憲革命で廃位にされた。貴族によるクーデターだった。グスタフ4世はナポレオンに対し一歩も引かず、議会も無視し、強引に政策を押し通しスウェーデン国民の反感を買ってしまったのである。クーデターにより臨時政府が建てられ、グスタフ4世の叔父カール侯爵が摂政に任命される。この臨時政府の元で新憲法が制定され、カール侯爵がカール13世として国王になる。
スウェーデンは窮していた。ナポレオン戦争に巻き込まれ、ロシア帝国に敗れ長年支配していたフィンランドを失った。そしてヨーロッパ本土はロシアを除きナポレオンに席巻されていた。しかもカール13世には世子がいなかった。数限りない問題と憂鬱に取り囲まれていたのである。そこにナポレオンがスウェーデンに新たに難題を押し付けるのである。大陸封鎖令である。窮しきったスウェーデンは参加を余儀なくされるが、取り敢えずスウェーデンは一国を安堵された。
次に問題に上がったのは、スウェーデンの王位継承者問題である。王妃ヘトヴィヒ・エリーザベトとの間には子供が育たなかった。先王の王太子だったグスタフ王子は退けられ、当初はデンマーク王家であるオルデンブルク家の分家アウグステンブルク家のクリスチャン・アウグスト(カール・アウグストと改名)が王位継承者に指名されていたが、指名後間もなく事故で死去した。その後も後継者問題で揺れたものの、紆余曲折の末、議会、国民、そしてカール13世の一致した見解により、フランス第一帝政麾下のベルナドット元帥が王位継承者に指名された。ベルナドットはスウェーデンに赴くと、王太子と同時に摂政にも就任し、スウェーデンの国政の実権を握った。
このベルナドットの御陰でスウェーデンは息を吹き返し、ナポレオン戦争に打ち勝ち、勝利国として名を連ねた。ウィーン会議では、ノルウェー王位も認められた。しかしいずれの功績も全てベルナドットの貢献による賜物であった。1814年にノルウェー王も兼ねた後、1818年に70歳で死去した。カール13世をもってホルシュタイン=ゴットルプ朝は終わり、新たにスウェーデンの王朝としてベルナドッテ朝が開始されるのである。
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