カワサキ・マッハ
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カワサキ・マッハ (MACH) は、川崎重工業が製造販売していた2ストローク3気筒エンジンを持つオンロードタイプのオートバイシリーズの総称である。
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[編集] 概要
1969年に北米で販売を開始した 500 cc (H1) の成功を受け、1972年モデルでは排気量 250 cc (S1)、350 cc(S2、後に 400 cc の S3)、750 cc (H2) の 3 車種を加え、計 4 車種の2ストローク 3 気筒車群を形成し、これをマッハシリーズと呼んだ。さらに、H1 および H2 の大排気量車種を「Big Mach(ビッグマッハ)」と呼び、排気量の小さい(フレームも異なる)S1、S2 および S3 を「Middle Mach(ミドルマッハ)」と呼んで区別されることもあった。
1976年モデルでこれら車種の名称を KH(シリーズ)と変更するまで、この「マッハ」の愛称が用いられた。
日本向けモデルの名称に関しては、公称排気量のあとに "SS" が付加された(例:カワサキ 500 SS マッハ III 等)が、輸出車にはこの "SS" は無く、「Kawasaki 500 MachIII H1」と排気量に型式名が付く。
1975年に Z650 が発表され、これにバトンタッチする形で H2 が消滅。翌年には排ガス / 騒音規制の影響で全 KH シリーズが北米から撤退。運転免許制度の関係等で北米以外でも需要の見込めた 250 / 400 は存続したが、500 はこれをもって型式消滅した。1980年モデルを最後に 250 / 400 の欧州向け輸出も終了となったが、日本向けとして1983年ごろまで生産された。
[編集] 500SS MACH III (H1)
北米における1966年の A1(サムライ、250 cc)、翌年の A7(アベンジャー (Avenger) 、350 cc)の成功で ZAPPER(Z1/Z900参照)指向を固めたカワサキは、絶対的な高加速度を持つ高出力車の開発を行い1969年はじめには対米輸出用の生産を開始した。日本では北米よりやや遅れて1969年9月より販売された。
発売当時の米国ではまだ過大な燃料 / オイル消費や猛烈な白煙に寛大であり、低廉な車両価格(1,000 ドル以下)と圧倒的な加速性能(カタログスペックでは 0 → 100 メートルで約 4 秒)で販売成績も好調であった。しかし、操縦性においては少ない前輪荷重等が災いし、万人向けとは決して言えないもので、他社種に比べ高い事故率を示すことがメディアで報道されるなど、「乗り手を選ぶ」バイクというイメージが世界各国で定着した。コアなマニアの間では「ありえないパワーバンド、曲がらない車体、前述のように止まらないブレーキ、激しい吸排気音」があってこその「マッハ」らしい。
1972年のZ1発表以降は、最高出力を下げマイルドな方向への性格付けが行われていった。そしてついに、1975年にKH500と名称変更した1976年モデルは排気ガス規制および騒音対策のため最高出力が 52 ps と大幅ダウンされ、さらに、DOHC4気筒の Z650 が同年発表になった段階において "ZAPPER" としての存在意義が希薄化し、カワサキもそれに抗うことなく1977年モデルをもって製造を終えた。
[編集] H1 主要諸元(1969年モデル)
- 製造初年:1968年(1969年モデルから)
- 全長×全幅×全高:2,095 × 840 × 1,080 mm
- メインフレーム:鋼管ダブルクレードル
- サスペンション形式:
- フロント:テレスコピック
- リア:スイングアーム
- ブレーキ
- 前輪:ドラムブレーキ(ツーリーディング)
- 後輪:ドラムブレーキ(リーディング・アンド・トレーリング)
- 乾燥重量:174 kg
- エンジン形式:KAE 型(空冷2ストロークピストンバルブ並列3気筒)
- 総排気量:498 cc
- ボア×ストローク:60 × 58.8 mm
- 圧縮比:6.8
- 最高出力:60 hp / 7,500 rpm
- 最大トルク:5.85 kg-m / 7,000 rpm
[編集] モデルチェンジ
- 北米マーケットにおける各イヤーモデルは、前年の9月頃(前後する場合もある)に発売が開始されることに注意。
- 1971年モデルの H1A まではウィンカーはオプション扱いとなっていた。
- 欧州向け H1 はノイズ障害を考慮して CDI に替えてポイント式点火機構を採用。
- H1(1969年モデル):初期型
- H1A(1971年モデル):タンク意匠変更
- H1B(1972年モデル):レインボーライン、フロントディスク、CDI 点火廃止
- H1D(1973年モデル):テールカウル装着、フレーム変更、最高出力ダウン(60 ps → 59 ps)
- H1E(1974年モデル):エンジンのラバーマウント化、マグネトー式 CDI 採用
- H1F(1975年モデル):
- KH500 (A8) (1976 / 1977年モデル):最高出力ダウン(59 ps → 52 ps)、シフトパターン変更(ボトムニュートラル → 1 ダウン 4 アップ)
[編集] "H1C" について
一部のカワサキ パーツリストには "H1C" が存在する。
- カラーリングは "H1B" と同様の 1972年モデル色。
- フロントブレーキは 1971年モデル ("H1A") と同じドラム。(Fディスクモデルも極めて少数だが存在する。カタログなどに見受けられる)
- 点火機構も 1971年モデルの CDI。
つまり "H1A" に "H1B" のタンクとサイドカバーを付けたもので、この仕様でおよそ 1,000 台ほどが生産された。"H1A" の残存部品処分モデル。
[編集] 750SS MACH IV (H2)
1969年に発売された 2 ストローク空冷 3 気筒 500 cc のマッハIII (H1) はその強烈な加速性から欧米で好評を博したが、やや遅れてホンダCB750が発売されると、性能的には大差なく、価格はおよそ 1.5 倍であるにもかかわらず次第に人気を奪われるようになった。
これ以前の時点で既にカワサキは 750 cc 4ストローク4気筒車の開発に着手していたが、このホンダ CB750 の出現により、全ての面で CB を上回る車種 (Z1) に変更することとしたため、市販できるのは 1972年以降となることが明らかとなった。
このため、その間の対抗馬として少なくとも加速性と最高速度で CB を圧倒できる(すなわち世界最速)ものとして、H1 エンジンのボアストロークを拡大して 750 cc としたのがマッハ IV (H2) である。
1972年秋に Z1 が販売開始された直後に発生したオイルショックにより、H1 に比べても一層燃費の悪い H2 は、より現実的になってきた排出ガス / 騒音規制に対応する手立ても乏しく、S1 (250 cc) / S3 (400 cc) / H1 (500 cc) がそれぞれKH250 / 400 / 500と名称変更して(敢えてパワーダウンを伴っても)存続したのに対し、H2 のみは 1975年モデルをもって型式消滅となった。
[編集] H2 主要諸元(1972年モデル)
- 製造初年:1971年(1972年モデルから)
- 全長×全幅×全高:2,095 × 850 × 1,145 mm
- ホイールベース:1,410 mm
- メインフレーム:鋼管ダブルクレードル
- サスペンション形式:
- フロント:テレスコピック
- リア:スイングアーム
- ブレーキ
- 前輪:ディスクブレーキ(シングル)
- 後輪:ドラムブレーキ(リーディング・アンド・トレーリング)
- 乾燥重量:192 kg
- エンジン形式:H2E 型(空冷2ストロークピストンバルブ並列 3 気筒)
- 総排気量:748 cc
- ボア×ストローク:71 × 63 mm
- 圧縮比:7.0
- 最高出力:74 hp / 6,800 rpm
- 最大トルク:7.9 kg-m / 6,500 rpm
[編集] モデルチェンジ
- H2(1972年モデル):初期型
- H2A(1973年モデル):スイングアーム延長
- H2B(1974年モデル):ホイールベース延長、最高出力ダウン(74 ps → 71 ps)、エンジンのラバーマウント、油圧式ステアリングダンパー、テールカウル / ランプ変更
- H2C(1975年モデル):タンク変更
[編集] 愛称について
カワサキ マッハシリーズは 250 / 350 / 500 / 750 の各排気量を持つ車種に対してそれぞれマッハ I / II / III / IV と命名された。H2 は MACH IV に該当し、カワサキのサービスマニュアル等にもこの名称が使われているが、日本向け H2 (750SS) のサイドカバーには "MACH III 750" というエンブレムが装着されている。もともと、H1 (500 cc) 発売時の "MACH III" の "III" は「3 気筒」を意味するものであったので、その意味からは 750 cc 車でも MACH III は誤りではない。しかし、同様に 3 気筒である 250 / 350 (400) cc 車には何故かこの愛称は用いられていない。