オルトク
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
オルトク(おるとく)または斡脱(あつだつ)とは、トルコ語で「仲間」を意味する共同出資の組織。元朝支配下の中国で支配機構の一翼を担い、ムスリムの特権御用商人によって構成された。モンゴルが一時代を形成した13世紀後半から14世紀中葉にかけての特異な商業形態のひとつ。
[編集] 概要
元朝支配下の中国では、人びとはモンゴル人、色目人、漢人、南人の4つに分類された。
クビライは、1271年の皇帝即位以前からウイグル人、契丹人、漢民族、女真族などからなる多種族混成の実務集団を抱えていたが、元朝成立後は、経済に明るい色目人とくにムスリム商人には財政部門を担当させ、また、文化や宗教の領域にはチベット人やネパール、カシミール、インドの人びと、科学・情報・技術関連領域にはヨーロッパ人も含んだ世界の諸地域の人びとを登用した。
ことに、徴税その他、農耕社会を統治する知識や経験に乏しいモンゴル人支配層のもとでは、ムスリム商人が財務官僚として力をふるった。モンゴル帝国の財務官となったマフムド・ヤラワチは、通貨もまた財産の一形態であり、需要と供給の均衡関係が保たれれば価値をもつとの意見を唱えた。商業を通じて宮廷へ出入りし、やがてモンゴル貴族や皇帝の信任を受けるに至ったムスリム商人は、民族的出自よりも能力を重視したモンゴルによってしばしば重用された。ムスリム商人は共同出資の組織「オルトク」をつくり、通商、運輸、金融、徴税など種々の経済活動を営んだ。占領地の税務行政が銀の取り立てに特化したのも、国際通貨である銀を獲得して国際商業への投資に振り向けるためであった。
クビライはこれらのオルトクに利権を与えて、元朝の公的な支配機構にとりこんでいった。しかし、商業税や専売税の徴税請負など、中国の伝統的な財政観、通貨観に馴染まない政策を採り、しばしば中国人を経済的に搾取したことは彼らの怨嗟の対象となることもあった。
なお、「オルトク」をあらわす漢語「斡脱」はトルコ語発音を漢字で音写したものである。