オジー・カンセコ
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オジー・カンセコ(Ozzie Canseco(Osvaldo Canseco Capas)) , 1964年7月2日 - )はキューバ出身の野球選手(投手・外野手)。メジャーリーグで活躍したホセ・カンセコは双子の弟。
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[編集] 来歴・人物
幼少期に家族・従兄弟・親戚と一緒と共にキューバからアメリカ・フロリダ州マイアミに亡命。コーラルパーク高校からマイアミ・デード短大に進学し、1982年ドラフト40位でニューヨーク・ヤンキースに入団。 当初は投手として登録されていたが、1984年には外野手としても出場し、しばらく二足のわらじを履くことになる。1986年にオークランド・アスレチックスにトレードされると、完全に外野手に転向したが、それでもマイナーではまれに投手として登場することがあった。
双子の弟、ホセ・カンセコは早々とメジャーで華々しい活躍を見せたが兄・オジーは中々芽が出ず、メジャーデビューはプロ入り8年目の1990年だった。だが、たった9試合の出場に留まった。
1991年には近鉄バファローズと契約。あのホセ・カンセコの実兄いうことで話題になり、ファンも大いに期待した。しかしこの年の近鉄にはラルフ・ブライアント、ジム・トレーバーという実績のある大物助っ人外国人が名を連ねており、球団としては第三の外国人という扱いに過ぎなかった。シーズン中にブライアントが故障し、カンセコにチャンスが訪れたかと思われたが、ファームで中途半端な成績しかあげていなかったため、近鉄は新外国人ジェシー・リードを獲得し、彼をブライアントの替わりに抜擢した。しかも、当時は外国人の登録は1チーム3人までという規定があったため、カンセコは任意引退となった。球団としては来期も契約する意志があったために自由契約ではなく任意引退という処置をとったのだが、これではファームの試合に出場することもできないため、納得できなかったカンセコはこの年限りで帰国している。
その後、1992年にセントルイス・カージナルスと契約し、メジャー出場するものの数試合しか出場できず、1994年に移籍したミルウォーキー・ブリュワーズではメジャー出場することはなく、この年限りで引退となる。
[編集] 通算成績
- 日本 1軍出場なし
- メジャー 24試合 打数65 安打13 打率.200 本塁打0 打点4 三振17 盗塁0
[編集] 略歴
- 投打:右投右打
- 出身地:キューバ・ハバナ
- 球歴:ニューヨーク・ヤンキース-オークランド・アスレチックス-近鉄バファローズ-セントルイス・カージナルス-ミルウォーキー・ブリュワーズ
- 背番号:35(近鉄時代)
[編集] 外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference、Fangraphs、The Baseball Cube