オシアノス (客船)
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船歴 | |
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起工 | |
進水 | 1952年7月 |
就航 | |
その後 | 1991年8月3日に沈没 |
性能諸元 | |
排水量 | 14,000トン |
全長 | 150m |
全幅 | 20 m |
吃水 | 6.7 m |
機関 | |
速力 | 最大18.5ノット、航行時16ノット |
乗客定員 | 550人 |
オシアノス(MTS Oceanos)はフランス製・ギリシア船籍の客船。
フランス・ボルドーの造船会社(Forges Chantiers de la Gironde)によって建造され、当初はJean Labordeという名前でフランスの海事会社(Messageries Maritimes)の4姉妹船の最後に作られた。1952年7月に進水し、マルセイユ-マダガスカル-モーリシャス便として運行。1991年8月に南アフリカ沿岸にて浸水、沈没した。奇跡的に、沈没時に乗っていた乗客は全員無事だった。
当初の船名Jean Labordeは数回の船名変更(Jean Laborde→Mykinai→Ancona→Eastern Princess)を経て、1976年オシアノスとしてギリシャで登録された。
[編集] 事故
1991年8月3日、オシアノスはイーストロンドンからダーバンへ向けて出航した。だがオシアノスは防水設備の修理を完全に終えておらず、冷却水を通していたパイプに十センチ程度の穴が空いていた。そしてオシアノスはPM9:30にトランスカイを出航したが、先述の穴から冷却水に使用していた海水が漏れ出し、オシアノスは浸水しはじめた。不運にも乗務員が水密区画を閉鎖していなかったため、別の区画にも海水が入り込み、海水は下水道管を逆流し始めた。通常は下水道管の逆止弁でこれを防ぐのだが、以前に逆止弁の故障による苦情が相次ぎ、逆止弁が取り外されていた。このため海水は下水道管をつたって他の区画にも入り、さらに傾斜によって乗務員が閉め忘れた舷窓からも浸水。乗務員は乗客を置き去りにし救命ボートで船から逃亡した。最初、乗客は救命ボートで脱出したが、その夜は悪天候で、ボートが転覆する恐れがあった。しかも船の傾斜により片側のボートが降ろせなくなってしまい、多数の乗客が船に取り残された。
翌日の朝、天候が回復したのを見計らって、16機のヘリコプターが救助に向かったが、突然船長が現れ、乗客を押しのけて真っ先に逃げようとした。その後、船に取り残された数百人の乗客もヘリコプターで脱出し、乗員乗客全員無事という奇跡的な結果に終わった。また、船の様子がビデオなどで記録されていたことも話題になった。
その日のPM3:30、オシアノスは沈没した。
[編集] その後
事故後、事故時の乗員の対応、船長の態度、乗員の全員逃亡という行動に批判の声が上がった。船長は「あくまで事故の詳細を報告するためヘリコプターに乗った。そのあと戻るつもりだった」と話したが、船長が戻ったことはなく、事故後、オシアノスを所有していた会社は倒産した。