エリザベート・ド・ヴァロワ
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
エリザベート・ド・ヴァロワ(Elisabeth de Valois, 1545年4月2日 - 1568年10月3日)は、フランス王アンリ2世と王妃カトリーヌ・ド・メディシスの娘。スペイン王フェリペ2世の3人目の王妃になった。兄にフランソワ2世、弟妹にシャルル9世、アンリ3世、ロレーヌ公妃クロード、ナヴァール王アンリ(フランス王アンリ4世)の妃マルグリット・ド・ヴァロワがいる。
[編集] 人物・生涯
エリザベートは1545年にアンリ2世の長女として生まれた。画家のクルーエと一緒に絵を描く事が好きだったという。当時の詩人のブラントームによると、詩や音楽も好んだという。1548年に兄フランソワの婚約者として、スコットランド女王メアリー・ステュアートがフランスにやって来た。メアリーはアンリ2世の娘達の中ではエリザベートと一番仲良しの友達になった。メアリーとは後に同室にされたらしく、メアリーの母方の祖母ギーズ公妃アントワネットは願ってもない事だと喜んだという。メアリーとフランス王家の人々との関係はおおむね良好で、最後まで打ち解けられなかったのは義母のカトリーヌ・ド・メディシスくらいであった。メアリーにとってはフランス王家の人々は実の家族同然であり、フランスに葬って欲しいという遺言も残している。
1559年11月25日に、エリザベートはスペイン王フェリペ2世と結婚するため、スペインへ出発した。この時、メアリーは彼女との別れを悲しみ、スペインの使者にフェリペ2世宛ての
- エリザベートは新しい生活に入り、幸福になるのだから、自分はあえて引き止めないが、しかし本当はエリザベートは別れがたい人なので、その損失は決して埋められないだろう。
という内容の手紙を託した。その手紙の終わりは
- エリザベートを世界中で最も愛している者、そして常に愛したいと思っている者 姉のメアリー
という言葉で結ばれている。
エリザベートとフェリペ2世の夫婦仲は良く、フェリペ2世は彼女のために舞踏会を催させたり、朗読家に朗読をさせたり、共に遊んだりするなど、幸せな夫婦生活を送っていた。エリザベートは1566年にはイサベル・デ・クララ・エウヘニアを、1567年にはカタリーナ・ミカエラを生んだ。
エリザベートとメアリーの友情は、お互いが嫁ぎ、離れ離れになってからもずっと続いていたらしく、メアリーが夫ダーンリー卿ヘンリー・ステュアート暗殺の嫌疑をかけられ、虜囚となっていた1567年9月末に、彼女はエリザベートに宛てて手紙を書き送っている。主な内容はスペインの支援を要請するという内容だが、2人が家族・友人として過したフランスでの楽しい思い出についても綴られている。
また、フェリペ2世は1577年頃、異母弟ドン・フアン・デ・アウストリアに軍を率いさせ、スペイン領ネーデルラント(現在のベルギー)からイングランドに侵攻し、メアリーを救出してドン・フアンとメアリーを結婚させる事を考えていたという説もある。このようにフェリペ2世は、同じカトリック国の君主として、メアリーに対し最後まで協力的な態度を見せており、これにはエリザベートの存在があったためではないかと考えられる。彼女はダーンリー卿殺害に関して、夫にメアリーの無実を訴えていた可能性もあると考えられている。
エリザベートは1568年10月3日に死去した。
[編集] 参考文献
- アントニア・フレイザー『スコットランド女王メアリ』松本たま訳、1988年、中央公論社、595頁。