エティエンヌ・デマルトー
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』
獲得メダル | ||
---|---|---|
カナダ | ||
男子 陸上競技 | ||
オリンピック | ||
金 | 1904 セントルイス | 重錘投(56ポンド) |
エティエンヌ・デマルトー (Étienne Desmarteau、1873年2月4日- 1905年10月29日)は、カナダの陸上競技選手。1904年セントルイスオリンピックの金メダリストである。
[編集] 経歴
デマルトーは、カナダケベック州出身。モントリオールアスレチッククラブに所属し、今は実施されていない56ポンド重錘投げのトップ選手であった。1902年に、アメリカのAAU(全米体育協会)選手権に出場。アメリカのトップ選手であったジョン・フラナガンを下し優勝を果たした。
1904年セントルイスオリンピック前に、フラナガンは重錘投げの世界新記録を樹立したが、デマルトーはフラナガンとともにセントルイスでは優勝候補と目されていた。モントリオールの警官だったデマルトーは、オリンピックに出場するために休暇願を出そうとする。しかし却下されたため、彼は仕事をやめてオリンピックに出場することとした。
デマルトーは、重錘投げの第1投で10.46mの投てきを見せる。この投てきでライバルのフラナガンを下すのに十分であった。フラナガンの記録は10.16mで、30cmの差をつけオリンピックの金メダルを獲得した。
モントリオールに戻ったデマルトーはヒーローとして迎えられた。しかし、彼の栄光は長く続かなかった。オリンピックの翌年、デマルトーは腸チフスに罹り32歳の若さでこの世を去った。1976年モントリオールオリンピックのバスケットボール会場のエティエンヌ・デマルトーセンターは彼を記念して名づけられている。