ウェス・フェレル
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ウェス・フェレル(Wesley Cheek "Wes" Ferrell, 1908年2月2日 - 1976年12月9日)は、主に1930年代に活躍したアメリカ・メジャーリーグの野球選手。ポジションは投手。アメリカ合衆国のノースカロライナ州グリーンズボロ生まれ。右投げ右打ち。主にインディアンズとレッドソックスで活躍、1935年に最多勝利投手のタイトルを獲得した。打撃にも長けており、2007年現在の投手としての本塁打数のメジャーリーグ記録を持つ。
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[編集] 略歴
ノースカロライナの野球一家に生まれる。1927年にクリーブランド・インディアンスに入団し同年メジャーにもデビューする。フェレルは直球とカーブ、チェンジアップを得意とし、3年目の1929年に43試合に登板して21勝10敗、12の完投勝利を上げて頭角を現す。その後1932年まで4年連続で20勝と100奪三振以上を挙げ、1920年代後半のインディアンスの主力投手となった。またフェレルは投手ながら打力もあり、1931年4月29日にセントルイス・ブラウンズを相手にノーヒットノーランを達成した試合では、自ら本塁打と二塁打を含む4打点を挙げている。
1933年には第1回オールスターゲームのメンバーに選出されたが、肩の痛みのため出場しなかった。この年は怪我から11勝12敗の成績にとどまり、翌1934年には、兄リック・フェレルの在籍していたボストン・レッドソックスに移籍する。同年14勝5敗と復活したウェスは、翌1935年に25勝をあげアメリカンリーグの最多勝利投手のタイトルを獲得、同年の最優秀選手投票で2位となった。
レッドソックスには1937年途中まで在籍、その後セネタース、ヤンキース等に在籍したが、1938年に15勝10敗の成績を挙げたあと、オフに腕の手術を受け、その後本格的な復帰はできないまま、1941年に33歳でメジャーリーグから引退した。
1976年にフロリダ州サラソタで死去。2008年2月に、レッドソックスの球団殿堂入り選手となった。
[編集] 所属球団
- クリーブランド・インディアンス(1927-1933年)
- ボストン・レッドソックス(1934-1937年)
- ワシントン・セネタース(1937,1938年)
- ニューヨーク・ヤンキース(1938,1939年)
- ブルックリン・ドジャーズ(1940年)
- ボストン・ブレーブス(1941年)
[編集] 通算成績
[編集] 投手成績
登 板 |
先 発 |
投 球 回 |
勝 利 |
完 封 |
敗 戦 |
救 援 |
奪 三 振 |
被 安 打 |
被 本 塁 打 |
与 四 球 |
与 死 球 |
暴 投 |
自 責 点 |
防御率 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
374 | 323 | 2623.0 | 193 | 17 | 128 | 13 | 985 | 2845 | 132 | 1040 | 23 | 35 | 1177 | 4.04 |
[編集] 獲得タイトル・記録
[編集] 打撃成績
- 通算成績:548試合、1176打数329安打、本塁打38、打点208、打率.280
-
- 本塁打数38は、投手としての通算本塁打のメジャーリーグ記録(2007年現在)
[編集] 出典・外部リンク
- 選手の通算成績と情報 Baseball-Reference
- 投手の打撃記録(SABR.org)
先代: レフティ・ゴメス |
ア・リーグ最多勝利 1935年 |
次代: トミー・ブリッジス |