アンヘル・コルデロ・ジュニア
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アンヘル・コルデロ・ジュニア( Ángel Cordero, Jr. , 1942年11月8日 - )は、プエルトリコ、サントゥルセ生まれの元騎手。サラブレッド競馬史におけるトップジョッキーの一人で、アメリカ競馬殿堂入りした唯一のプエルトリコ人である。
目次 |
[編集] 来歴
[編集] 幼年期
コルデロの父アンヘル・コルデロSr. は騎手・調教師、叔父も調教師というサラブレッドに囲まれた環境で育った。アンヘルが彼らに倣い若くしてレースを始めたのは自然なことだった。
[編集] アメリカのクラシックレース
アンヘル・コルデロJr. は、ケンタッキーダービー、プリークネスステークス、ベルモントステークスから成るアメリカのクラシックレース全てに勝った最初で唯一のプエルトリコ人騎手である。
1974年、31歳のとき、コルデロはキャノネード Cannonade に騎乗しケンタッキーダービーに勝利した。1976年ボールドフォーブズ Bold Forbes 、1985年にはスペンドアバック Spend A Buck で更に二度価値あるダービーを制し、ダービー史上僅か四人の騎手のみが達成した快挙を成し遂げた[1]。ケンタッキーダービーはケンタッキー州ルイビルで毎年開催され、アメリカ合衆国のサラブレッドレースで最も重要なレースと見なされている。
1976年、コルデロはボールドフォーブズに乗りニューヨーク州エレモントで毎年開催されるベルモントステークスに勝ち、1980年にはゲートダンサー Gate Dancer 、1984年にコーデックス Codex に騎乗し二度プリークネスステークスを制した。
他の偉業として、コルデロはブリーダーズカップを4度制し、13回サラトガ競馬場のリーディングジョッキーとなった[2]。
1992年コルデロのキャリアは、ほとんど命を失いかけたレース中の落馬事故で短く打ち切られた。しかし1995年、家族と友人の願いに反しコルデロはブリーダーズカップにもう一度乗るため再び鞍を置いた。コルデロは「自分のやり方で引退したい。人々に私が他の方法で去るのを覚えていて欲しくはない」と述べた。
[編集] 近年
コルデロは今は騎手を引退したが、フルタイムでこのスポーツに関与し続けており、同郷のプエルトリコ人騎手ジョン・ヴェラスケスのエージェントと、ヴェラスケスが騎乗契約しているトッド・プレッチャー Todd Pletcher 厩舎の攻馬手を勤めている。2005年10月、ハリケーン・カトリーナ被災者募金を募るためフィラデルフィアパーク競馬場のコティヨンハンデキャップ(GII) で十年ぶりにレース復帰し、インディアンヴェール Indian Vale に騎乗して5着となった。
ニューヨークのサラブレッドレース界の著名人だったコルデロの妻マジョリー・クレイトン・コルデロ Majorie Clayton Cordero (元騎手・調教師)は2001年1月に死去した。コルデロは5人の子供の父である。アンヘル・コルデロJr. は1988年にアメリカ競馬名誉の殿堂博物館、2001年にはナッソー郡スポーツ名誉の殿堂入りを果たしている。
[編集] 通算成績
年度 | 1960年 - 1992年 |
---|---|
騎乗数 | 38,646 |
勝利数 | 7,057 |
勝率 | 18.3% |
[編集] 主な騎乗馬
(騎乗時の主な勝鞍)
- オープンマインド Open Mind, 1986 (ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズ、デモワゼルステークス、ケンタッキーオークス、エイコーンステークス、マザーグースステークス、コーチングクラブアメリカンオークス、アラバマステークス)
- サンシャインフォーエヴァー Sunshine Forever, 1985 (マンノウォーステークス、ターフクラシックステークス、バドワイザーインターナショナル(ワシントンD.C.インターナショナル)) - 本邦輸入種牡馬
- ブライアンズタイム Brian's Time, 1985 (ジムダンディハンデキャップ、ペガサスハンデキャップ)- 輸入種牡馬
- ガルチ Gulch, 1984 (ホープフルステークス、フューチュリティステークス、ブリーダーズカップ・スプリント)
- マニラ Manila, 1983 (アーリントンミリオンステークス)
- ブロードブラッシュ Broad Brush, 1983 (メドウランズカップステークス、サンタアニタハンデキャップ、サバーバンハンデキャップ)
- スペンドアバック Spend A Buck, 1982 (ケンタッキーダービー)
- チーフズクラウン Chief's Crown, 1982 (トラヴァーズステークス)
- トリプティク Triptych, 1982 (フェニックスチャンピオンステークス3着、凱旋門賞3着)
- ゲートダンサー Gate Dancer, 1981 (プリークネスステークス)
- ライフズマジック Life's Magic, 1981 (ブリーダーズカップ・ディスタフ)
- スルーオゴールド Slew o'Gold, 1980 (ウッドワードステークス(2回)、ジョッキークラブゴールドカップステークス(2回)、ホイットニーハンデキャップ、マールボロカップインヴィテーショナルハンデキャップ)
- オールアロング All Along, 1979 (ブリーダーズカップ・ターフ2着)
- プレザントコロニー Pleasant Colony, 1978 (ウッドワードステークス)
- ファピアノ Fappiano, 1977 (メトロポリタンハンデキャップ、フォアゴーハンデキャップ)
- シアトルスルー Seattle Slew, 1974 (マールボロカップインヴィテーショナルハンデキャップ、ウッドワードステークス)
- ボールドフォーブス Bold Forbes, 1973 (ウッドメモリアルステークス、ケンタッキーダービー、ベルモントステークス)
- エクセラー Exceller, 1973 (カナディアンインターナショナルチャンピオンシップステークス)
- リトルカレント Little Current, 1971 (エヴァーグレーズステークス)
- ジムフレンチ Jim French, 1968 (サンタアニタダービー) - 輸入種牡馬
- タイプキャスト Typecast, 1966 (マンノウォーステークス)- 輸入繁殖牝馬
[編集] 大レースの勝鞍
- サバーバンハンデキャップ (1969, 1970, 1974, 1987, 1989)
- デモワゼルステークス (1970, 1981, 1987, 1988)
- サンタアニタダービー (1971)
- マンノウォーステークス (1972, 1976, 1978, 1988)
- ジョッキークラブゴールドカップステークス (1972, 1983, 1984)
- ブルーグラスステークス (1973, 1977)
- コーチングクラブアメリカンオークス (1973, 1989)
- ケンタッキーダービー (1974, 1976, 1985)
- ウッドメモリアルステークス (1974, 1976, 1979, 1982)
- メイトロンステークス (1974, 1980, 1983, 1987, 1989, 1991)
- ホープフルステークス (1974, 1986)
- ベルモントステークス (1976)
- カナディアンインターナショナルチャンピオンシップステークス (1977)
- メドウランズカップステークス (1977, 1978, 1983, 1986)
- マールボロカップインヴィテーショナルハンデキャップ (1978, 1984)
- ウッドワードステークス (1978, 1981, 1982, 1983, 1984, 1985)
- プリークネスステークス (1980, 1984)
- メトロポリタンハンデキャップ (1981)
- フォアゴーハンデキャップ (1981, 1983, 1985, 1987)
- ケンタッキーオークス (1984, 1989)
- ホイットニーハンデキャップ (1984, 1985)
- デルマーフューチュリティ (1984)
- トラヴァーズステークス (1985)
- ブリーダーズカップ・ディスタフ (1985)
- フューチュリティステークス (1986, 1988)
- サンタアニタハンデキャップ (1987)
- マザーグースステークス (1987, 1989)
- アーリントンミリオンステークス (1987)
- アラバマステークス (1988, 1989, 1991)
- ブリーダーズカップ・ジュヴェナイルフィリーズ (1988)
- ブリーダーズカップ・スプリント (1988, 1989)
- バドワイザーインターナショナル(ワシントンD.C.インターナショナル) (1988)
- エイコーンステークス (1989, 1990)
- ピムリコスペシャル (1989)
[編集] レーシングアワード
- アメリカ合衆国リーディングジョッキー(獲得賞金) (1976, 1982, 1983)
- アメリカ合衆国リーディングジョッキー(勝利数) (1982, 1983)
- ジョージ・ウルフ記念騎手賞 (1972)
- エクリプス賞最優秀騎手 (1982, 1983, 1985)
- ビッグスポート・オブ・ターフダム賞 Big Sport of Turfdom Award (1992)
- マイク・ヴェネツィア記念賞 Mike Venezia Memorial Award (1992)
[編集] 顕彰
- アメリカ競馬名誉の殿堂 (1988)
- ナッソー郡スポーツの殿堂 (2001)
[編集] 脚注
- ^ 他の三人はアイザック・マーフィー Isaac Murphy (1884, 1890, 1891) 、アール・サンデ Earl Sande (1923, 1925, 1930) 及びゲイリー・スティーヴンス Gary Stevens (1988, 1995, 1997) 。最多は5勝でエディ・アーキャロ Eddie Arcaro (1938, 1941, 1945, 1948, 1952) とビル・ハータック Bill Hartack (1957, 1960, 1962, 1964, 1969) が、4勝はビル・シューメーカー Bill Shoemaker (1955, 1959, 1965, 1986) が挙げている。
- ^ Cordero to Serve Ban - 『ニューヨーク・タイムズ』紙1988年9月24日(英語)
[編集] 参考文献
- Angel Cordero, Jr. - アメリカ競馬名誉の殿堂博物館(英語)
- Nothing But Fun wins dramatic photo in Cotillion - No storybook ending for Cordero - フィラデルフィアパーク競馬場公式サイト/プレスリリース(2005年10月1日)(英語)