アンゴラ全面独立民族同盟
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アンゴラ全面独立民族同盟(-ぜんめんどくりつみんぞくどうめい 葡:União Nacional para a Independência Total de Angola (UNITA ウニタ) )とは、1966年、アンゴラで結成された武装抵抗組織。アンゴラ内戦の当事者。創始者、指導者(議長)はジョナス・ザビンビ。冷戦後は、事実上、サビンビの私設勢力となった。
[編集] 冷戦時代
- 1966年にポルトガルからの独立を目指した武装組織として発足。当初は中華人民共和国から、1975年にアンゴラが独立し共産主義政権が誕生すると、アメリカ合衆国、南アフリカ共和国からの支援を受け、国内を内戦状態に巻き込み活動した。アンゴラの内戦は、米ソ冷戦の代理戦争の様相を呈しており、豊富な武器を供給された反面、「負けないように勝たないように」半ばコントロールされており泥沼状態となった。
- 最大勢力範囲は国土の約半分を占めるほどとなったが、1980年代後半になると政府、反政府勢力共に米ソの後ろ盾を失い内戦も停滞。1992年には停戦協定(ルサカ和平協定)を結び総選挙への参加を受諾した。
[編集] 冷戦以降
- 1992年、議長のジョナス・サビンビが大統領選に出馬するも落選。選挙は政府側の不正によるものとして温存していた勢力を再結成した。これに対し、1993年、国連安全保障理事会は、アンゴラ全面独立民族同盟に対する禁輸を決定。反発したアンゴラ全面独立民族同盟は翌年、武装闘争を再開した。
- 内戦の争点が、イデオロギーの対立ではなく、単なるアンゴラ国内の問題となったことからアメリカ、ロシア等の介入は無くなった。このため1990年代の活動資金は、ダイヤモンド鉱山からの収益を元手に行われていた。数万人にも及ぶ労働者を酷使して採掘し、ダイヤモンド商社であるデ・ビアス社に大量に卸した。デ・ビアス社は市場の暴落を防ぐため、需要量以上の買い取りを行ったという。
- 1998年、アンゴラ内戦の悪循環を経つため、国連安全保障理事会はダイアモンド取引の全面禁止を決定。資金源が絶たれたことにより、以後、軍事面で急速に劣勢に立たされ、隣国のナミビア国境付近に追いやられる状況になった。
- 2000年、ダイアモンド輸出は密輸という形で続けられていたが、デ・ビアス社が改めて買い上げ禁止をコメント。密輸も難しい情勢となった。政府軍の攻勢もあり、ダイアモンド鉱山を放棄した。アンゴラ政府軍が、ナミビア側の了解を得てナミビア軍基地を利用した攻撃を開始。
- 2002年1月、アンゴラ政府がかつての敵国、アメリカと和解。厭戦ムードが漂う中、議長のジョナス・ザビンビが、数日後に副議長が相次ぎ戦死。民間軍事会社による事実上の暗殺と目されている。後継者は和平を選択し、武装解除が進められた。
- 2002年4月、ドス・サントス大統領、アフリカ諸国代表、アメリカ、ロシア、ポルトガルの特使が参列し和平式典が開催され和平が達成された。