アスラン・アバシゼ
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アスラン・アバシーゼ (ასლან აბაშიძე 1938年7月20日 - )は、グルジア、アジャリア自治共和国の政治家。バトゥミ出身。名士であるアバシゼ一族の直系子孫。
1962年、バトゥミ国立大学歴史・哲学部、1984年、トビリシ国立大学経済学部を卒業。教師として働き、コムソモールの仕事に入り、職業専門学校を率い、バトゥミ市執行委員会副議長となった。
1984年から1986年、アジャリア自治共和国公共サービス相、後にグルジア公共サービス第一次官。
1991年から、アジャリア自治共和国最高会議議長。1998年、自治共和国最高会議議長兼元首。1991年、全グルジア再生同盟党を設立。グルジア議会で第2党の議席を獲得した。
2004年1月4日のグルジア大統領選挙の際、アスラン・アバシーゼは、非常事態宣言を発令し、暫定政権に反対するなどの動きを見せた。3月28日、議会選挙でミヘイル・サアカシュヴィリを首班とする国民運動が圧勝したが、アバシーゼ議長は、選挙結果を認めず、グルジアとの交通路を封鎖するなどの措置を取り、中央政府との関係は一触即発の状態となった。5月5日、ロシアのセルゲイ・イワノフ国防相がアバシーゼ議長と会見し、辞任を勧告した。これにより議長は同日中に辞任しロシアに出国した。
アジャリアの国旗、国章、国歌の作者。