アウディ・80
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アウディ80(AUDI 80)は(西)ドイツの自動車メーカー、アウディ・((NSU)・アウトウニオン)社が生産した小型乗用車。
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[編集] 概要
'64年のDKW F102を4ストローク化したアウディシリーズの80ps版。または、1972年に誕生した新世代のスモールアウディ。フロントにエンジンを縦に搭載し、前輪(モデルにより前後輪)を駆動する。アウディ車の全生産量の9割近くを占める。一般に、高速域での安定性を重視し、居住性に優れたボディをもつ。ボディ形状は4ドアのノッチバックが主で、モデルにより、2ドアや、ステーションワゴンもある。派生車種にクーペとカブリオレをもつ。小型大衆車としてスタートし、モデルチェンジ毎に上級志向を強めていった。
[編集] 歴史
[編集] 初代(1972-1978年)Type 82/B1
'72年8月に登場。 新世代の西ドイツ製小型大衆車として、それまでのビートルから脱却すべく開発され、 '73年6月に登場するパサートのベースともなった。 完全な新設計の水冷4気筒SOHCエンジンを縦置きし、前輪を駆動する。 ルードビッヒ・クラウスらによる簡潔なメカニズムとジョルジェット・ジウジアーロによる美しいスタイリングをもち、 '73年のヨーロッパ・カー・オブ・ザ・イヤーにも選ばれた。 本国では、80、80L、80S、80LS、80GLのグレード、1.3リッターと1.5リッターのエンジンに2ドアと4ドアがあり、 '73年の第45回フランクフルトモーターショーで、1.6リッター、100馬力のエンジンを搭載した高性能モデル、80GTが追加された。 また、同ショーでは、カルマンのブースにおいて、Audi80をベースにジウジアーロがデザインしたショーカー『アッソ・ディ・ピッケ』が展示された。 強いウェッジフォルムの4座のクーペボディは内外装とも近未来的で、円筒状のインストルメント・パネルには、各種情報がデジタル表示された。 日本には'73年夏から、株式会社ヤナセを通じて販売が開始された。正式輸入されたモデルは、4灯式ヘッドライトをもつ80GLグレード1種で、 1.5リッター、4ドア、右ハンドル仕様に限られた。 価格は139.8万円で、当時最も安い輸入車のひとつであった。 '76年モデルからは、1.6リッターエンジンにKジェトロニック燃料噴射装置等がついたGLEのグレードが輸入され、 50年排出ガス規制をクリア。これ以降、日本へ正式輸入される80シリーズはすべてインジェクション仕様となった。 '77年モデルは第2世代のアウディ100を踏襲した外観にマイナーチェンジされ、 GLEとLEの2つのグレードが日本へ正式輸入された。 両者の外観の違いは、フェンダーアーチのモールの有無程度だが、LEには2ドアも用意され、 マニュアル・トランスミッションを選ぶこともできた。 価格は、GLEのオートマチックが299.8万円、2ドアのLEでも269.8万円となった。 一方、北米向けは、Audi Foxと呼ばれ、ワゴンタイプのボディも用意された。 この第1世代の80は1,103,800台が生産され、日本へは10,391台が正式輸入された。
[編集] 2代目(1979-1987年)B2系
本国では'78年秋にフルチェンジした。デザイナーは初代と同じくジウジアーロである。日本仕様車だけの特徴として初期モデルには開閉可能な三角窓が存在していた。1984年には4気筒に加え、5気筒の「GL5E」とその4WD版「quattro」が投入された。
1985年にマイナーチェンジを行い、アウディ・100に倣ったフラッシュサーフェース化の結果、空気抵抗係数(Cd値)の軽減に成功している。特にリアセクションは変更が大きくハイデッキ化され、同時にトランク開口部がバンパーレベルまで下げられた(従来はテールライトレベルである)。5気筒モデルは「アウディ90」と改称され、より豪華なデザインに改められた。従来のクワトロも90クワトロに格上げされ、4気筒エンジンを搭載した80クワトロも台数限定で販売された。
日本へは4ドアモデルを全年式に渡ってヤナセが輸入していた。
[編集] エンジン
- 1.6L 直4SOHC、82馬力(初期のGLE)
- 1.8L 直4SOHC、92馬力(GLE、CLE、後期型CC、後期クワトロ)
- 2.0L 直5SOHC、105馬力(GL5E、90)
- 2.2L 直5SOHC、120馬力(前期クワトロ、後期90クワトロ)
[編集] 派生車種
- アウディ・クーペ
- 80をベースしたクーペモデル。第2世代の80ベースのクーペはハッチバックではない。少数ながら日本にも輸入された。
- アウディ・クワトロ
- 通称ビッグ・クワトロ。クーペをベースにしたフルタイム4WDモデルである。ブリスターフェンダーを採用し、直列5気筒ターボエンジンを搭載する。
[編集] 3代目(1986-1991年)Type 89/B3
'86年のパリ・サロンでデビュー。スタイリングは、ハルトムート・ヴァークスらのアウディ社内デザインチームによるもので、1994年に登場するA4のチーフデザイナー、ペーター・シュライヤーも担当した。インゴルシュタットに新設された工場で生産された。
メカニズムは基本的に2代目モデルのものを踏襲するが、ボディは一新され、細部までのフラッシュ化と強く傾斜したウインドスクリーンにより、Cd値0.29の空力特性をもつ。ボディ鋼板には、100%亜鉛メッキを施された。
トランクの荷室に入り込まない工夫されたヒンジや、ガイドピンにより開閉するドアウインドウ、90度近くまで開くドアなどが特徴。開発段階ではステーションワゴンタイプも計画されていたためか、トランク容量は2代目モデルよりも小さい。運転席からは、サテライトスイッチが姿を消し、オートマチックには、スタッガードゲートが採用され、シフトレバーとブレーキペダルを連動させた安全機構が加わった。また、アウディ独自の乗員保護機構、プロコン・テンシステムが採用された。
4WDのメカニズムに関しては、従来のベベルギアに代わり、トルクセンシング能力をもつトルセンデフになった。これにより、状況に応じて前後のトルク配分を変化させることが可能になった。
トランクリッドにつく4輪マークは、1964年のアウトウニオンDKW F102以来。当初、日本仕様のみの特注品であったが、のちに標準化され、現在のアウディ車まで続いている。
日本へは1987年6月より株式会社ヤナセから販売が開始された。当初、1.9リッター、3段オートマチックの1種で、ハンドルは左右とも用意され、価格は共に407万円だった。1987年夏からはスポーツシートやスポイラーを装備したシュポルト(3AT)が追加。1988年モデルから待望の80quattoの導入が始まり、マニュアル、左ハンドル仕様のみで、価格は543万円。また、装備を簡素化した廉価版のヨーロッパ(381万円)が追加され、シュポルトは5段マニュアル仕様に変更された。1988年夏には新型90シリーズが導入され、2.3Eシュポルトの単一グレードで価格は490万円。1989年モデルからは、80シリーズの排気量が2.0リッターに拡大し、90シリーズにはAT仕様が加わった。1990年モデルでは90 2.3Eに右ハンドル仕様が設定され、80quattoの輸入が中止された。1990年夏には、ようやく90quattro20vの販売が開始された(569万円)。1991年3月にはクーペ20Vが導入され、613万円で発売された。さらに、80シリーズの日本国内販売10万台を記念して、特別仕様の80ジーガーが500台限定で販売された(395万円)。この第3世代の80は、1991年末までに約5万1千台が日本国内で販売された。
[編集] エンジン
- 1.9L 直4SOHC、110馬力(1.9E、同ヨーロッパ)
- 2.0L 直4SOHC、110馬力(2.0E、同ヨーロッパ、同シュポルト、クワトロ)
- 2.3L 直5SOHC、135馬力(90 2.3E、同シュポルト)
- 2.3L 直5DOHC、170馬力(90クワトロ)
[編集] 4代目(1992-1995年)B4系
1992年デビュー。前モデルで不評だった点を改良するためにホイールベースを伸ばし、室内空間の拡大を行っているほかトランク容量についても改善された。また、ワゴンボディのアヴァントが追加され新たな客層を取り込むことに成功している。エンジンは先代からのキャリーオーバーであるが、5気筒モデルの90が再び80へ編入し、V6エンジン搭載車が新たに加わった。V6モデルはフラッグシップのアウディ・V8を意識した専用のフロントマスクを与えられた。1995年にアウディ・A4シリーズにバトンタッチし、アウディ80という名称は消滅することになった。
[編集] エンジン
- 2.0L 直4SOHC、110馬力(2.0E)
- 2.3L 直5SOHC、130馬力(2.3E)
- 2.6L V6SOHC、150馬力(2.6E系)
- 2.8L V6SOHC、170馬力(2.8Eシュポルト、同アヴァント)