FCヴァッカー・インスブルック
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FCヴァッカー・インスブルック | |
原語表記 | FC Wacker Innsbruck |
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愛称 | |
クラブカラー | 黒と緑 |
創設年 | 2002 (1913)年 |
所属リーグ | オーストリア・ブンデスリーガ |
所属ディビジョン | 1部 |
ホームタウン | インスブルック |
ホームスタジアム | ティヴォリ・シュターディオン |
収容人数 | 30.000 |
代表者 | ゲアハルト・シュトッカー |
監督 | ヴァルター・コーグラー |
FCヴァッカー・インスブルック(FC Wacker Innsbruck)は、オーストリア・チロル州の州都インスブルック市を本拠地とするサッカークラブ。栄光の時代と財政難・破産を繰り返し、幾度も同じ地に再建された。現クラブの成立は2002年だが、その前身となった諸クラブをあわせると(FCチロル・インスブルック、FCヴァッカー・インスブルックなど)、過去に幾度もリーグ制覇を果たし、元オランダ代表監督のエルンスト・ハッペルや現ドイツ代表監督のヨアヒム・レーヴらが率いたオーストリアを代表する名門である。
目次 |
[編集] 歴史
[編集] クラブ設立
1913年、現クラブの母体となるFCヴァッカー・インスブルックが創設された。1964年に1部リーグにあたるオーストリア・ブンデスリーガ に昇格(当時のリーグ名は「Staatsliga」)。
[編集] 1970年代 - 第1黄金時代
クラブ初の黄金期は1970年代に訪れ、1971年、1972年、1973年、1975年、1977年とオーストリア・ブンデスリーガ で優勝し、同時に1970年、1973年、1975年、1978年、1979年にオーストリア・カップでの優勝も果たした。1975年と1976年にはUEFAチャンピオンズリーグの前身となったミトローパ・カップでも優勝。それ以外にも1977年~1978年のシーズンではFCバーゼルやセルティックを破り、UEFAチャンピオンズカップの準々決勝まで進出するなどヨーロッパカップでも結果を残す。後にガンバ大阪で監督を務めることになるフリードリッヒ・コンシリアをはじめ、オーストリア代表選手が集まるオーストリアを代表する強豪クラブであった。
しかし、クラブは財政難に陥り1979年には2部へ降格。1981年にはオーストリア・ブンデスリーガ に復帰するものの、財政的な問題はなかなか解決されず1980年代半ばまで低迷を続けた。
[編集] 1980年代後半 - 第2黄金時代
1986年、チロルの世界的企業、スワロフスキー社がメインスポンサーとしてクラブのオーストリア・ブンデスリーガ・ライセンスを買収。 クラブ経営に直接関わり始めクラブ名も「FCスワロフスキー・チロル」に変更される。監督に名将エルンスト・ハッペルを招聘し、ミヒャエル・バウアーやブルーノ・ペッツァイ、クリストフ・ヴェスターターラー、ペーター・パクルトなど多くのオーストリア代表選手を揃え、さらにドイツ代表選手であったハンズィ・ミュラーや、アルゼンチン代表選手のネストル・ゴロシートなどを獲得。スワロフスキー社の金銭的なサポートもあり、クラブは2度目の黄金期を迎える。
オーストリア・ブンデスリーガでは1992年に準優勝、1989年、1990年には優勝する。オーストリア・カップでは1987年、1988年に準優勝、1989年に優勝。またUEFAカップではスパルタク・モスクワなどを破り準決勝まで進出する(1987年)。
1993年、スワロフスキー社が経営から手を引いたことによりクラブは再び財政難に陥り、1990年代後半まで低迷が続く。クラブ名も「FCチロル・インスブルック」に変更される。
[編集] 1990年代後半 - 第3黄金時代
1998年ごろからチロル州の各企業がスポンサーとしてつくようになり、クラブは3度目の黄金期を迎える。インスブルック出身のクルト・ヤーラが監督になり、2000年のオーストリア・ブンデスリーガ優勝を皮切りに、2001年、2002年と国内リーグ優勝3連覇を成し遂げ、インスブルックのサポーターを熱狂させた(2001年秋にクルト・ヤーラはドイツ・ブンデスリーガのハンブルガーSVの監督に就任。後任として現ドイツ代表監督を務めるヨアヒム・レーヴが監督に就任)。UEFAカップではドイツ・ブンデスリーガのシュトゥットガルトやセリエAのフィオレンティーナを破ったりとなかなかの結果を残したが、高額な選手年俸とUEFAチャンピオンズリーグ本大会に出場できなかったこともあり(予選敗退)再び財政が破綻してクラブ消滅へと追い込まれる。
[編集] 再建 - 新たなスタート
新たに再建されたクラブ(FCヴァッカー・チロル)は、オーストリア・ブンデスリーガ直後にレギオナルリーガ西部(3部)からの再出発を余儀なくされた。しかし、それぞれ1年で3部・2部リーグを突破し、再びオーストリア・ブンデスリーガ に復帰を果たした。 2007~2008のシーズンからクラブの正式名を「FCヴァッカー・チロル」から由緒ある「FCヴァッカー・インスブルック」に変更することが2006年12月に決定された。
[編集] 獲得したタイトル
[編集] 国内タイトル
・オーストリア・ブンデスリーガ優勝10回 (1971、1972、1973、1975、1977、1989、1990、2000、2001、2002)
・オーストリア・ブンデスリーガ準優勝5回 (1967、1968、1974、1976、1991)
・オーストリア・カップ優勝7回 (1970、1973、1975、1978、1979、1989、1993)
・オーストリア・カップ準優勝6回 (1976、1982、1983、1987、1988、2001)
・オーストリア・スーパーカップ準優勝5回 (1987、1989、1990、1993、2000、2001)
・レギオナルリーガ西部優勝、レッドツァック・1部リーグへ昇格 (2003)、
・オーストリア・レッドツァック・1部リーグ優勝、オーストリア・ブンデスリーガへ昇格 (2004)
[編集] 国際タイトル
・ミトローパ・カップ優勝2回 (1975年、1976年)
・UEFAインタートトカップ優勝4回 (1975年、1989年、1990年、1991年)
・UEFAインタートトカップ準優勝1回 (1995年)
・UEFAカップ準決勝進出 (1987年)
・UEFAチャンピオンズカップ準々決勝進出 (1978年)
[編集] 過去の成績
- 1999-2000 オーストリア・ブンデスリーガ 優勝
- 2000-2001 オーストリア・ブンデスリーガ 優勝
- 2001-2002 オーストリア・ブンデスリーガ 優勝 (財政破綻により3部に降格)
- 2002-2003 オーストリア・レギオナルリーガ西部(3部) 優勝
- 2003-2004 オーストリア・レッドツァック・1部リーグ(2部) 優勝
- 2004-2005 オーストリア・ブンデスリーガ 6位
- 2005-2006 オーストリア・ブンデスリーガ 9位
- 2006-2007 オーストリア・ブンデスリーガ 9位
[編集] 歴代監督
氏名 | 国籍 | 期間 |
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エルンスト・ハッペル (元オランダ代表監督) | オーストリア | 1987 - 1991 |
ホルスト・フルベッシュ (元U21ドイツ代表監督) | ドイツ | 1992 |
ホルスト・ケッペル (元浦和レッズ監督) | ドイツ | 1993 - 1994 |
ヴォルフガンク・シュヴァルツ (暫定監督) | オーストリア | 1994 |
ヨハン・クランクル | オーストリア | 1994 - 1995 |
ディートマール・コンスタンティーニ (元オーストリア代表ヘッドコーチ) | オーストリア | 1995 - 1997 |
ハインツ・パイシュル (暫定監督) | オーストリア | 1997 |
フランティゼク・ツィプロ | チェコ | 1997 - 1998 |
クルト・ヤーラ (元ハンブルガーSV監督) | オーストリア | 1999 - 2001 |
ヨアヒム・レーヴ (現ドイツ代表監督) | ドイツ | 2001 - 2002 |
ミヒャエル・シュトライター (現レッドブル・ザルツブルクヘッドコーチ) | オーストリア | 2002 - 2003 |
ヘルムート・クラフト (現スポーツディレクター) | オーストリア | 2003 - 2004 |
スタニスラフ・チェルチェソフ (現スパルタク・モスクワ監督) | ロシア | 2004 - 2006 |
フランティゼック・ストラカ (元スパルタ・プラハ監督) | ドイツ | 2006 - 2007 |
クラウス・フォーグラー (暫定監督、現ヘッドコーチ) | オーストリア | 2007 |
ラース・ゼンデガールド (現レッドブル・ザルツブルクサテライト監督) | デンマーク | 2007 |
ヘルムート・クラフト (スポーツディレクター兼暫定監督) | オーストリア | 2007 - 2008 |
ヴァルター・コーグラー | オーストリア | 2008 - 現在まで |
[編集] 女子サッカー
オーストリア・サッカー協会は2004年に全てのオーストリア・ブンデスリーガのクラブが女子サッカークラブをも運営するべし、という方針を打ち出した。 しかし当時FCヴァッカー・インスブルックは女子サッカークラブを運営していなかったため、2006年6月に同じインスブルックを拠点とし、提携関係を結んでいるインスブルッカーAC(Innsbrucker AC)の女子部門を譲り受けた。
現在もFCヴァッカー・インスブルックの女子サッカークラブの選手は殆ど全員元インスブルッカーACの選手である。
インスブルッカーACの女子クラブは長年女子のブンデスリーガ(オーストリア1部)に所属、女子のUEFAチャンピオンズリーグ(UEFA Womans Cup)にも出場したことがありオーストリアを代表する強豪チームであったが、ブンデスリーガの所属ライセンスをクラブ同士で譲ることがオーストリア・サッカー協会に認められず、2006-2007年シーズンでは女子のレギオナルリーガ(オーストリア2部)からの再出発を余儀なくされた。
しかしオーストリア代表選手を始め殆どの選手が残留したほか、元U-19ドイツ代表選手などがFCヴァッカー・インスブルックの女子部門に新たに移籍してきたため、レギオナルリーガでは圧倒的な強さで優勝、2007ー08年のシーズンからブンデスリーガに再び復帰した。
現在では女子のトップチーム(オーストリア・ブンデスリーガ)とサテライトチーム(オーストリア2部)がFCヴァッカー・インスブルックによって運営されており、特にトップチームはオーストリアでもベスト3に入る強さを誇っている。
[編集] 外部リンク
T-モバイル・ブンデスリーガ 2007-2008 |
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FCヴァッカー・インスブルック | FKアウストリア・ウィーン | SKアウストリア・ケルンテン | SKシュトゥルム・グラーツ | LASKリンツ | SVマッテルスブルク | SCラインドルフ・アルタッハ | SKラピード・ウィーン | SVリート | レッドブル・ザルツブルク | |
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