SKシュトゥルム・グラーツ
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SKシュトゥルム・グラーツ | |
原語表記 | Sportklub Sturm Graz |
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愛称 | - |
クラブカラー | 黒と白 |
創設年 | 1909年 |
所属リーグ | オーストリア・ブンデスリーガ |
所属ディビジョン | 1部 |
ホームタウン | グラーツ |
ホームスタジアム | グラーツ・リーベナウ・シュターディオン |
収容人数 | 15,400 |
代表者 | ハンス・リンナー |
監督 | フランコ・フォーダ |
SKシュトゥルム・グラーツ(Sportklub Sturm Graz)は、オーストリア・シュタイアーマルク州の州都グラーツを本拠地とするサッカークラブチーム。
1990年代後半より、イビチャ・オシム監督のもとで躍進、一時はチャンピオンズリーグにも出場した。
目次 |
[編集] クラブの歴史
1909年に創設された。クラブ史における最初の成功は、1982年から1983年のシーズンにかけて、オットー・バリッチ監督のもとでリーグ戦準優勝を果たしたことであった。このことでUEFAカップに出場、8強にまで入った。
しかし、1990年代前半、クラブは深刻な財政難に見舞われた。多くの実力選手放出を余儀なくされ、若手中心のチームで再出発を図ることになる。こうした中、ボスニア出身の新監督が1994年に就任した。クラブ史に深く名を刻んだイビチャ・オシムである。
オシムは、場当たり的な動きをとる若手選手たちに規律、戦術を遵守することを強いた。厳しい訓練を通じて、これらは徐々に選手に定着していき、大方の予想に反して1995年にオーストリア・ブンデスリーガ準優勝を果たした。そして、ついに1996年にオーストリア・カップ初優勝へとチームを導いた。翌年にはカップ戦で連覇、1998年には念願のリーグ戦優勝を果たし、チームをオーストリア・ブンデスリーガの首位へと導いた。
このことでUEFAチャンピオンズリーグへ出場し、グループリーグ入りを果たす。レアル・マドリード、インテルなどの強豪に完敗(レアルには2戦合計で11対2)したものの、選手たちには大きな経験となった。1999年にはリーグ戦、カップ戦の二冠を果たした。UEFAチャンピオンズリーグでも、グループリーグD(マンチェスター・ユナイテッド、マルセイユ、クロアチア・ザグレブ)で敗退したものの、クロアチア・ザグレブを抑えて3位に入った。
翌年、シュトゥルム・グラーツは三度目のチャンピオンズリーグに挑んだ。その結果は、グラーツの市民のみならず、オーストリアのサッカーファンを熱狂させるものであった。グループリーグD(グラスゴー・レンジャーズ、ガラタサライ、ASモナコ)において、初戦のグラスゴー・レンジャーズ戦、第三戦ASモナコ戦において(共にアウェイ)、0対5の完敗を喫するが、ホームでは強さを発揮し、それに加えてグループに極端な力量差のある強豪もおらず、他チームの実力が拮抗していることによる勝ち点の食い合いもあり、僅差でグループリーグを首位で通過した(なお、得失点差では最下位(マイナス3)という奇妙な記録も残した)。当時のチャンピオンズリーグは、決勝トーナメントに進む前にもう一度リーグ戦が行われており、そのリーグ戦(バレンシア、マンチェスター・ユナイテッド、パナシナイコス)で3位となり敗退した。
2002年、8年間に渡って監督をつとめていたイビチャ・オシムはグラーツを去った。会長のクラブ経営方針をめぐる批判、健康上の問題などが理由とされる。(翌年より、イビチャ・オシムは日本のジェフユナイテッド市原(当時)の監督へ就任した。)
その後、毎年クラブは順位を落とし、残留争いの常連となりつつある。またオシム時代(特に1996-97年シーズンから)、念願のUEFAチャンピオンズリーグ初出場を果たすために大規模なチーム補強が行われ、数々の代表選手を獲得、そのために抱えきれ無いほど膨大な人件費を抱えることになり、2006年10月23日に負債860万ユーロで破産申請をした。しかし新経営陣のもと再起、勝点剥奪を乗り越え、オーストリア・ブンデスリーガ残留を果たしている。
地理的な理由から多くの旧ユーゴスラビア出身選手が所属する事で知られている。特に80年代から90年代にかけて、多くの旧ユーゴスラビア出身の選手にとって地理的に最も祖国に近い「西ヨーロッパのプロクラブ」であった。
[編集] タイトル
[編集] 国内タイトル
- オーストリア・ブンデスリーガ優勝:2回
1998, 1999
- オーストリア・カップ優勝:3回
1996, 1997, 1999
- オーストリア・スーパーカップ優勝:3回
1996, 1998, 1999
[編集] 国際タイトル
なし
[編集] 過去の成績
- 93/94 7位
- 94/95 2位 オシム就任
- 95/96 2位 カップ制覇
- 96/97 3位 カップ制覇
- 97/98 1位 優勝
- 98/99 1位 優勝・カップ制覇
- 99/00 2位
- 00/01 4位
- 01/02 2位 オシム退任
- 02/03 6位
- 03/04 9位 9月、ペトロビッチ就任
- 04/05 7位
- 05/06 8位 ペトロビッチ退任
- 06/07 7位
- 07/08 4位
[編集] 歴代監督
- 1989 オットー・バリッチ(クロアチア)
- 1989-1992 アウグスト・スタレク(オーストリア)
- 1992-1993 ラディスラフ・ユルケミク(チェコ)
- 1993-1994 ミラン・ドゥリチッチ(クロアチア)
- 1994-2002 イビチャ・オシム(ボスニア・ヘルツェゴビナ、後にオーストリア国籍を取得)
- 2002-2003 フランコ・フォーダ(ドイツ)
- 2003 ジルベア・グレス(フランス)
- 2003-2006 ミハイロ・ペトロヴィッチ(セルビア、後にオーストリア国籍を取得)
- 2006-現在まで フランコ・フォーダ(ドイツ)
[編集] 歴代所属選手
- ミハイロ・ペトロヴィッチ(旧ユーゴスラビア(セルビア)、後にオーストリア国籍を取得) 1985-1993
- ジュセッペ・ジャンニーニ(イタリア) 1996-1997
- マリオ・ハース(オーストリア) 1992-1998、2001-2005、2007-
- ランコ・ポポヴィッチ(旧ユーゴスラビア(セルビア)、後にオーストリア国籍を取得) 1997-2001
- イヴィツァ・ヴァスティッチ(クロアチア、後にオーストリア国籍を取得) 1995-2002
- クリスティアン・グラツァイ(オーストリア)
- ファービアン・ラモッテ(ドイツ)
- マリオ・ゾンライトナー(オーストリア)
- マーク・プレッテンターラー(オーストリア)
- ゲオルギ・シャシアシヴィッリー(グルジア)
- サミア・ムラトヴィッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
- マリオ・キーンツル(オーストリア)
- オットー・コンラード(オーストリア)- 1991
- クラウス・ザルムッター(オーストリア)
- ユルゲン・ゾイメル(オーストリア)
- マーティン・ヒデン(オーストリア)
- サンドロ・フォーダ(ドイツ)
- オズレン・ペリッチ(ボスニア・ヘルツェゴビナ)
- マルコ・スタンコヴィッチ(オーストリア)
- ダリウス・カンパ(ドイツ)
- ハインツ・アーツベルガー(オーストリア)
- フランク・フェアラート(オランダ)
- アダム・レドヴォン(ポーランド)
- ローナルド・ゲルサリウ(オーストリア)
- エマヌエル・ポガテッツ(オーストリア)
- セバスティアン・プリョードル(オーストリア)
- クリストフ・ライトゲープ(オーストリア)
- エディ・ボスナー 2001-2003
[編集] 外部リンク
T-モバイル・ブンデスリーガ 2007-2008 |
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