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若松勉 - Wikipedia

若松勉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』

若松勉
基本情報
出身地 北海道留萌市
生年月日 1947年4月17日(61歳)
選手情報
投球・打席 右投左打
守備位置 外野手
プロ入り 1970年 ドラフト3位
経歴
Template  ウィキプロジェクト 野球選手

若松 勉わかまつ つとむ1947年4月17日 - )は、北海道留萌市出身のプロ野球選手プロ野球監督野球解説者。右投げ左打ち。現役時代はヤクルトアトムズ・スワローズで19年の長きに渡り活躍し、引退後はヤクルトで打撃コーチ・2軍監督・監督を務めた。

目次

[編集] 来歴・人物

北海高校を卒業後、電電北海道を経て、1971年ドラフト3位でヤクルトアトムズに入団。168cmの小柄な体型ながら、1年目より左翼手のレギュラーに定着、2年目の1972年には首位打者を獲得し、リーグを代表する外野手となる。1977年より中堅手にコンバートされ、1978年セ・リーグMVPを獲得し、ヤクルト初の日本一に貢献した。代打の切り札として活躍し、1989年に現役引退、ヤクルト一筋19年、42歳まで現役を全うした。

引退後は、1990年1992年テレビ朝日日刊スポーツの解説者を経て、1993年1994年ヤクルト二軍打撃コーチ、1995年1996年二軍監督、1997年1998年一軍打撃コーチを歴任し、1999年2005年監督を歴任し、2001年には大阪近鉄バファローズとの日本シリーズを制して日本一に輝く。2006年より、フジテレビジョン北海道文化放送ニッポン放送解説者、サンケイスポーツ評論家に就任。

原動力となった小さな大打者に対し、背番号1を永久欠番にとの署名が多く集まり、以降背番号1は池山隆寛岩村明憲といったチームの顔となる生え抜き選手のみに着用が許される番号となった。ベストナインゴールデングラブ賞も数度に渡り受賞。規定打席に到達した14シーズン中、実に12シーズンが打率3割以上というミートの達人。シーズン打率3割を12回達成は歴代3位タイの記録で、通算打率.31918は日本人歴代1位である(2007年シーズン終了時点)。

名球会会員。1978年に留萌市民栄誉賞、1981年に道民栄誉賞を受賞。

[編集] エピソード

  • プロ入り時、小柄な若松はプロ選手としてやっていく自信がなかった。夫人に「ダメだったら北海道に帰って二人でラーメン屋でもやろう」と言って入団を決意したという。
  • プロ入り時、所属していた電電北海道の応援団からヤクルトの応援団に、応援歌が譲り渡された[1]。球団間の移籍により応援歌が譲り渡されるケースはごくまれにみられる(山本和範大村直之木元邦之など)が、社会人チーム→プロ野球チームのケースは若松以外にはないものと思われる。現在、この応援歌は、特定の応援歌がない野手の汎用テーマ「でんでんマーチ」として用いられている。
  • 入団当時の三原脩監督や中西太ヘッド兼打撃コーチの指導と本人の猛練習で培われたバットコントロール、ミートの上手さは天才的。三振が非常に少なく、特に1977年にはシーズンを通じてわずか14三振という驚異的な数字を残している。野村元監督曰く、「軸をブラして打てるのはイチローか若松くらい」。なお、中日水原茂監督や巨人川上哲治監督(いずれも1971年当時)も若松のバッティングについて高く評価している。
  • 50m5秒台の俊足で盗塁成功率も非常に高いが、気が弱いためか自分から積極的に企画することはなかった。
  • 東京から実家の北海道留萌市公衆電話をかけていたが、当時10円玉しか使えない上、遠距離の通話料も高かった時代、チームの先輩が「電話機を倒すと、10円玉が落ちるスピードが遅くなるぞ」と言った冗談を真に受けて、本当に電話機を横倒しにして通話していたことがある。若松の生真面目な性格を表すエピソードである。
  • 現役時代の監督であり、ヤクルトを日本一に導いた広岡達朗を尊敬しており、広岡が球団と対立し監督を辞めた時、「どうして辞めてしまうんですか?」と泣きながら電話してきた唯一人の主力選手といわれる。野村監督の勇退を受けてヤクルト監督に就任した時も、「果たして僕に監督ができるのでしょうか」と広岡に相談している。
  • 1980年代前半、ヤクルト本社の「ヤクルト野菜ジュース」のコマーシャルモデルに起用された(その時のキャッチコピーは「クリーンヒット」と緑黄色野菜を絡ませて「グリーンヒット」)他、ストライカースポーツドリンク 現在は終売中)のラベルのイラストのモデルを務めたともされている。
  • また、誰に対しても礼儀正しく平身低頭であるため年俸交渉でも球団ともめることがほとんどなかったが、球界を代表する打者として毎年高成績を残し、名球会入りするほどの選手であったにも関わらず、現役時代の推定最高年俸が5200万円(1988年・当時のヤクルト球団の日本人最高年俸)であった。
  • 現役引退時に「FNNスーパータイム」のスポーツコーナーを担当していた有賀さつき(当時フジテレビアナウンサー)から「来年も頑張ってください」とインタビューを受けたという。
  • 現役引退後はヤクルトの打撃コーチや二軍監督を務めた。本人の生真面目な性格のためか、選手やチームのことを考えすぎてストレスを壊したり、腰痛に悩まされることも多かった。
  • 監督就任にあたっては、野村克也前監督のID野球からの脱却をスローガンとしたものの、そう簡単にチームカラーを変えるわけにも行かず、ID野球を払拭できずむしろ尊重するようにまでなった。その一方で、監督就任以来掲げていたスピード野球はなかなか浸透しなかった。特に野手は毎年のように若手戦力不足に泣かされ、野村前監督時代からのベテランを多く起用する傾向があったが、2005年になってようやく青木宣親宮出隆自らの若手がレギュラーを張るまでになった。投手起用に関しては、率直に本分ではないことを認め、ほぼ伊東昭光投手コーチに一任していた。古田敦也曰く「この人を勝たせてあげないといけないと思ってしまう監督」。
  • 2001年10月に監督として初のリーグ優勝を達成した際のインタビューで、「ファンの皆様、ありがとうございます」と言うつもりだったのだが、元来の緊張屋が顔を出してしまい「ファンの皆様、本当にあの~、あの…、おめでとうございます」と言ってしまい、場内は大爆笑に包まれた。若松の口下手で実直な人柄の現れであり、この年の流行語大賞にも選ばれた。
  • 日本シリーズ前のファンへの挨拶で「一戦、一戦、頑張りますので、オールスターでも、いや、日本シリーズでも皆様のご声援よろしくお願いします」と言ってしまい、またしても会場は大ウケとなった。
  • 日本シリーズ優勝の際、体重が軽い為、胴上げの際に宙返りになった事も話題となった。ちなみにこれは、石井一久らの策略であったらしい。また、この日のインタビューで「本当にファンの皆様、日本一、おめでとうございます!!」と堂々とファンに叫んだ。先のリーグ優勝の後に「いや、元々からおめでとうございますって言おうと思ってたんだよ」とうそぶいていたが、今度は緊張せずにしゃべることができた。
  • 監督時代の晩年は腰痛に悩まされたが、本人曰く「胴上げで宙返りしてからひどくなった」とのこと。
  • 2004年6月9日の対横浜戦で7回に横浜・佐伯貴弘の一塁ゴロの判定に激怒して一塁塁審を突き飛ばし、若松にとって野球人生初の退場となった。普段から外見通り物静かで、抗議に出ようとしてもコーチからベルトを引っ張られてベンチに下がることもあった温厚な若松が、激情を表情に出したことは珍しい。
  • 2004年プロ野球選手会のストライキ時、大阪近鉄バファローズオリックス・ブルーウェーブへの吸収合併に反対して、選手会の署名活動に署名している。
  • 2005年5月28日札幌市円山球場開場70年記念試合日本ハムvsヤクルト戦の始球式で打者として打席に立った。現役監督が公式戦の始球式に参加するのは異例だが、ビジターであったにもかかわらず若松には大声援が送られた。北海道での若松の人気は非常に高く、また佐藤真一(札幌市出身)や五十嵐亮太(留萌市出身)、米野智人(札幌市出身)など北海道に縁のある選手が在籍していたこともあり、年一度札幌ドームで開催されるヤクルト主催試合は、巨人戦や阪神戦に次いで多くの観客で埋まっていた(日本ハムの札幌移転とセ・パ交流戦開始に伴い、北海道でのヤクルト主催試合は2004年限りで打ち切られた)。それもあって、日本ハムの次期監督に若松を望むファンの声が高い。
  • 2005年10月14日、本拠地神宮球場でのシーズン最終戦対横浜試合終了を以って、7シーズンに渡って務めた監督を退任。辞任の記者会見では「1度しか日本一になれず申し訳なかった」と発言した。これも若松の人柄の象徴であり、退任して野球解説者となった現在でも多くのヤクルトファンに親しまれる理由の一つであろう。試合前に退任セレモニーで選手達による胴上げが企画されているのを知り、上記理由により固辞する旨を公言していたが、いざセレモニー終了後、次期監督の古田敦也から説得され胴上げを受け入れる。なお、この時の胴上げは腰に負担をかけないように低く、体が回転しない様に足首を押さえながらの胴上げだった。
  • スワローズで唯一、選手・監督として優勝を経験している。

[編集] タイトル・表彰・記録

  • MVP:1回(1978年)
  • 首位打者:2回(1972年、1977年) 
  • ベストナイン:9回(1972年 - 1974年、1976年 - 1980年、1984年)
  • ゴールデングラブ賞:2回(1977年、1978年)
  • 日本シリーズ優秀選手賞:1回(1978年)
  • 月間MVP:2回(1977年9月、1982年9月)
  • サイクルヒット:1回(1976年7月9日)
  • シーズン打率3割以上:12回(1972年 - 1974年、1976年 - 1980年、1982年 - 1985年)※歴代3位タイ。
  • 打撃ベストテン入り:12回(1972年 - 1980年、1982年 - 1984年)※歴代5位。
  • 1試合5安打(1976年6月24日)
  • 18試合連続安打3回(1976年9月14日 - 1976年10月10日、1980年4月22日 - 1980年5月18日、1984年7月17日 - 1984年8月14日)
  • 2試合連続4安打2回(1972年5月14日 - 5月15日、1982年9月2日 - 9月4日)
  • 3打席連続本塁打(1978年5月6日)
  • 通算代打本塁打:12本 ※歴代18位タイ。
  • 通算サヨナラ本塁打:8本 ※セ・リーグタイ記録。
  • 通算代打サヨナラ本塁打:3本 ※歴代1位タイ。
  • 2試合連続代打サヨナラ本塁打(1977月6月12日 - 6月13日)※史上2人目。
  • 1試合11守備機会(1980年9月19日)※外野手としての日本記録。
  • オールスター出場:11回(1972年 - 1980年、1983年、1984年)
  • オールスターMVP:2回(1973年第1戦、1977年第1戦)
  • オールスター先頭打者本塁打(1973年第3戦)※史上5人目。

[編集] 年度別打撃成績

年度 チーム

試合 打数 得点 安打 二塁
三塁
本塁
塁打 打点 盗塁 犠打 犠飛 四死
三振 打率(順位)
1971年 ヤクルト 57 112 274 40 83 18 1 3 112 15 6 8 1 22 28 .303
1972年 1 115 365 54 120 17 4 14 187 49 20 11 1 31 32 .329(1)
1973年 128 438 59 137 29 2 17 221 60 12 10 1 37 43 .313(2)
1974年 130 477 80 149 30 4 20 247 74 18 0 4 49 31 .312(5)
1975年 123 453 55 132 16 3 8 178 48 6 4 2 41 30 .291(8)
1976年 127 485 80 167 20 4 17 246 70 9 3 6 48 25 .344(3)
1977年 122 441 95 158 30 5 20 258 70 13 4 5 53 14 .358(1)
1978年 120 460 100 157 30 5 17 248 71 12 5 7 57 24 .341(2)
1979年 120 438 81 134 30 1 17 217 65 8 2 2 50 38 .306(8)
1980年 116 427 62 150 36 1 15 233 63 16 0 1 46 31 .351(2)
1981年 95 323 49 94 12 2 13 149 37 5 4 3 28 24 .291
1982年 112 390 50 121 12 2 11 170 38 6 4 6 28 27 .310(6)
1983年 112 413 61 139 21 1 15 207 60 11 9 1 28 21 .337(2)
1984年 114 397 49 129 22 2 9 182 50 6 8 4 40 26 .325(5)
1985年 114 443 52 133 13 1 12 184 34 2 8 3 31 30 .300(16)
1986年 119 400 38 110 14 2 6 146 39 1 6 6 27 29 .275(16)
1987年 55 69 6 26 2 2 3 41 16 0 1 1 10 7 .377
1988年 73 66 1 23 2 1 1 30 18 0 0 2 7 1 .348
1989年 55 49 3 11 1 0 2 18 7 0 0 0 5 2 .224
通算成績 2062 6808 1015 2173 355 43 220 3274 884 151 87 56 638 463 .319
  • 太字はリーグ最高。

[編集] 監督としてのチーム成績

年度 チーム 順位 試合 勝利 敗戦 引分 勝率 ゲーム差 チーム
本塁打
チーム
打率
チーム
防御率
年齢
1999年 平成11年 ヤクルト 4位 135 66 69 0 .489 15 141 .264 4.23 52歳
2000年 平成12年 4位 136 66 69 1 .489 12 137 .264 3.62 53歳
2001年 平成13年 1位 140 76 58 6 .567 148 .274 3.41 54歳
2002年 平成14年 2位 140 74 62 4 .544 11 142 .263 3.69 55歳
2003年 平成15年 3位 140 71 66 3 .518 15.5 159 .283 4.12 56歳
2004年 平成16年 2位 138 72 64 2 .529 7.5 181 .275 4.70 57歳
2005年 平成17年 4位 146 71 73 2 .493 17.5 128 .276 4.00 58歳
※1 太字は日本一
※2 1999年から2000年までは135試合制
※3 2001年から2004年までは140試合制
※4 2005年からは146試合制

[編集] 監督通算成績

  • 975試合 496勝461敗18分 勝率.509
  • リーグ優勝1回・日本一1回
  • Aクラス4回、Bクラス3回
    • 2001年からの4年連続Aクラスはアトムズ時代も含め、球団史上最長である。

[編集] 現在の出演番組

[編集] 背番号

[編集] 関連項目

先代:
長嶋茂雄
セ・リーグ首位打者
1972
次代:
王貞治
先代:
谷沢健一
セ・リーグ首位打者
1977
次代:
水谷実雄
先代:
王貞治
セ・リーグMVP
1978
次代:
江夏豊
先代:
松井秀喜
正力松太郎賞
2001年
次代:
原辰徳
先代:
松井優典(1994年)
ヤクルトスワローズ二軍監督
(1995年~1996年)
次代:
八重樫幸雄(1997年~1998年)
先代:
野村克也1990年1998年
ヤクルトスワローズ監督
1999年2005年
次代:
古田敦也2006年2007年
※カッコ内は監督在任期間。
ヤクルトアトムズ(現・東京ヤクルトスワローズ)
1970年ドラフト指名選手
1位:山下慶徳 / 2位:三橋豊夫 / 3位:若松勉 / 4位:渡辺進 / 5位:牧重見 / 6位:執行重徳 / 7位:植原修平
8位:会田照夫 / 9位:野村茂 / 10位:杉浦享 / 11位:成田昇 / 12位:倉持明
13位:米田潔 / 14位:市場博己 / 15位:高柳信美 / 16位:大木勝年
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