源道方
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源 道方(みなもと の みちかた、安和2年(969年) - 長久5年9月25日(1044年10月18日))は、平安時代中期の公卿。宇多源氏。左大臣源重信の五男。母については、源高明女(『公卿補任』)説と藤原師輔女(『尊卑分脈』)説とがある。子に経親・経長・経信・経隆らがいた。
寛和2年(986年)7月22日に従五位下に叙位されてより、侍従・右兵衛佐・少納言を経て弁官になる。この間、宮内卿・蔵人頭・播磨守・勘解由長官などを兼任し、長和元年(1012年)8月左大弁に任じられ、同年12月参議に任じられた。翌年従三位から正三位に進み、寛仁2年(1018年)従二位に昇進する。寛仁4年(1020年)11月権中納言になり、皇太后宮権大夫をも兼ねて「宮の大夫」(『栄花物語』より)と呼ばれた。長元2年(1029年)正月大宰権帥を兼ね、赴任後正二位に昇進した。長元6年(1033年)太宰権帥を辞任。長元8年(1035年)10月民部卿に遷任された。長久5年(1044年)9月25日出家し、同日76歳で薨去。藤原氏全盛時代において数少ない源氏の上達部として一条・三条・後一条・後朱雀の4天皇に仕えた。