源澄子
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源 澄子(みなもと の すみこ、長元2年(1029年)頃? - 寛治元年7月12日(1087年8月12日))は、土御門右大臣源師房の次女。母は藤原道長の娘藤原尊子。源俊房・源顕房・源麗子は同母弟妹。
祐子内親王(後朱雀天皇皇女)の上臈女房として出仕していたが、弟顕房の娘賢子が白河天皇の中宮になった関係で、伯母にあたる澄子も承保元年(1074年)6月16日に従三位に叙され、同年7月26日の太政官符によって封戸が給せられた。当時、女性で従三位を授けられるのは天皇の乳母である典侍に限られており、当時独身だった澄子の叙位は異例中の異例だった。澄子は一生独身を通し、寛治元年(1087年)7月12日薨去。59歳頃だったらしい。