永平親王
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永平親王(ながひらしんのう、康保2年(965年) - 永延2年10月12日(988年11月23日))は、平安時代の皇族。村上天皇の第8皇子で、母は宣耀殿女御藤原芳子(藤原師尹女)。四品兵部卿宮。八の宮と呼ばれた。
康保4年(967年)に3歳で父天皇と母女御と相次いで亡くしたので、母方の叔父藤原済時に養育された。天元2年(979年)元服し、永延2年(988年)10月に24歳で没した。妻子はいなかった。
彼は美男子だったが「いみじきしれもの」とあり、精神薄弱だったらしい。 彼の奇行は当時の貴族社会では有名だったらしく、『栄花物語』には従妹藤原娍子(済時の娘で後の三条天皇皇后)を慕って嫌がられる話、従兄弟の藤原実方に虐められる話、永平親王が愚鈍だったために皇太后昌子内親王(冷泉天皇中宮)との養子縁組が破談になった話を記載している。また『大鏡』にも、彼主催の親王大饗で失態を演じた話を記載する。