東京工業大学附属科学技術高等学校
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国公私立の別 | 国立学校 |
設置者 | 国立大学法人東京工業大学 |
設立年月日 | 1886年1月21日 |
共学・別学 | 男女共学 |
課程 | 全日制課程 |
単位制・学年制 | 学年制 |
設置学科 | 科学・技術科(5学級) |
学科内専門コース | 下記参照 |
所在地 | 〒108-0023 |
東京都港区芝浦3-3-6 北緯35度38分38.8秒東経139度44分50秒 |
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電話番号 | 03-3453-2251 |
FAX番号 | 03-3454-8571 |
外部リンク | 公式サイト |
東京工業大学附属科学技術高等学校(とうきょうこうぎょうだいがくふぞくかがくぎじゅつこうとうがっこう)は、東京都港区芝浦三丁目に所在する国立工業高等学校。JR山手線の田町駅から目の前にあり、大きな看板も見える。
目次 |
[編集] 概要
通称は東工大附属。国立高校では唯一の工業高校であり、全国の工業高校の中では最も高い学力レベルを誇っている。2008年春には、東京大学への現役合格者を出している。2002年度から3年間理数系教育重点校のスーパーサイエンスハイスクール(SSH)に指定され、2005年度より改めて2009年度まで5年間延長指定された。在学生の大半が理工系大学・学部を志望している。2004年度卒業生から国立では珍しい併設大学への推薦入学制度が導入されており、毎年10名が選抜されている。2007年春には12名が東京工業大学へ進学した。特色化した教育課程が組まれている点から、受験生の人気が非常に高い(一般入試は国立大学附属校では珍しく国語・数学・英語の3教科受験である)。また高専との併願者が多い。
東京工業大学田町キャンパス内にあり、同じ敷地内にはキャンパス・イノベーションセンター東京も存在する(基本的に生徒は3年間入る事はない)。戦前には東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)があり、その中に東京放送局(現NHK)の仮放送所が設置され、日本のラジオ放送の第一声がここから放送された。これを記念する「放送記念碑」と「千葉大学工学部発祥の地」と刻まれた碑が敷地内に建立されている。
校風は非常に自由で私服校である。校内の無線LANは生徒の使用が許可されている。エアコン等の設備もあり、特に持ち込み禁止となっている物はない。男女共学であるが、全校生徒に占める男子の割合が8割強と圧倒的に多く、男子校の様な雰囲気である。
基本的には工業高校の為、文系科目である世界史・英語・古典等は大学受験で必要最低限の分野のみ履修する事になっている。その分数学を始めとする理系分野の授業は単位数が多く、分野に拠っては大学での講義レベルに達するものも存在する。また普通科目の授業と別のものとして東京工業大学教授らによる講義、他科学技術における倫理などを考える授業があり、それぞれレポートが課せられる。本校のレポートは、二学年からの専門分野の時から各分野独特のレポートが課せられ、提出しないと評定はつかない、レベルの高いものとなっている。また一部のレポートに関しては、そのレポートが優秀な場合に表彰されることもある。レポートの数は1人年間30以上で、勉強との並立をうまく考えなければならない。
従来は5学科(機械・電気・電子・工業化学・建築)だったが、組織・校名変更にあわせて2005年度入学者より5科が科学・技術科に統合され、その中で5つの分野(応用化学・情報システム・機械システム・電気電子・立体造形)に分かれることになった。1年時は普通科高校と同様の授業を行い、2年時から各生徒の希望の分野に分かれる。分野決めは基本的に希望をとる方法だが、分野に偏りがあると成績順となる。その選考用に1年時に2回専門のテストを実施している。
[編集] 特色
普通科もしくは高専とはかなり変わった校風にある。前述の通り校内はかなりの自由で特に規定というものはなく、すべては生徒自身の責任である。学園祭や体育祭といった一般的行事についても他一般校に比べて盛り上がりはなく、装飾関連の準備も前日からと言った具合である。だがその分無駄な時間をとらず毎年きれいに終わるのが特徴である。2007年度は後夜祭(生徒のみの参加)が初めて行われた。体育においては、水泳施設での衛生管理(塩素濃度、気温調節)も国から評価を受けており、授業内容も一風変わっている。年間を通して、例えばサッカーやバスケットと言った具体的なカリキュラムがあるのではなく、生徒自らが授業内容を作成し、グループで実施する。毎回おのおのの授業計画を練りそれが成績につながる。体育の「技術」面ではなく、あくまで国語や数学とものと同様「体育学」として教育していこうという狙いである。体を思いっきり動かして楽しみたいというだけの生徒にとっては本校の体育の授業は難しいであろう。
[編集] 特別選抜
本校で2004年度から実施されている東京工業大学への推薦入学制度であるが、どのような観点で推薦者が決まるのか、本校外にあまり公示されていないのが現状である。もちろん入学してから分かることだが、まず成績は絶対である。学期末に公表される評定平均4.3以上の成績が絶対条件。また、第三学年になって全員行う課題研究内容。第三学年の8月に行われる高大連携教育活動「サマーチャレンジ」での大学側の評価。これは希望者の中で評定平均上位約50名が3日間の合宿を行うもので、科学技術高校としての知識・技術と大学への関心が問われ、プレゼンテーションや実習を通して直接大学の教授・准教授、その他が評価を下すものである。単に成績がよいだけでは通用せず、粘り強い積極性・集中力・思考力・発表力・決断力が要求される。
[編集] 教育課程
- 本科 (推薦入試は分野別募集だが、一般入試は一括募集で、2年進学時に希望・適性などから各分野へ分かれる)
- 科学・技術科
- 材料科学・環境科学・バイオ技術の分野(応用化学)
- 情報・コンピュータサイエンスの分野(情報システム)
- システムデザイン・ロボットの分野(機械システム)
- エレクトロニクス・エネルギ・通信の分野(電気・電子)
- 立体造形・ディジタルデザインの分野(建築デザイン:2008年度より、略称を改称)
- 科学・技術科
*平成20年度入学者の卒業をもって閉科となる。
[編集] 沿革
[編集] 本科(職工徒弟系)
- 1886年1月21日 東京商業学校(現在の一橋大学)附設商工徒弟講習所に職工科として創立(京橋区木挽町)
- 1890年1月 東京職工学校(現在の東京工業大学)に移管、附属職工徒弟講習所と改称(蔵前に移転)
- 1890年8月 東京職工学校附属職工徒弟学校と改称
- 1923年9月1日 関東大震災により校舎全壊、芝浦の東京高等工芸学校を借りて授業を行う
- 1924年4月1日 東京高等工芸学校(現千葉大学工学部)に移管、附属工芸実修学校と改称(芝浦)
- 1944年4月1日 東京工業専門学校附属工業専修学校と改称
- 1949年5月31日 千葉大学東京工業専門学校附属工芸高等学校となる
[編集] 本科(電波系)
- 1943年10月1日 東京高等工芸学校電気通信専修科として創立
- 1944年4月1日 東京工業専門学校附属電波技術専修学校と改称
- 1945年4月1日 東京工業専門学校附属電波工業学校と改称
- 1949年5月31日 千葉大学東京工業専門学校附属電波工芸高等学校となる
[編集] 専攻科
- 1899年5月23日 東京工業学校(現在の東京工業大学)附設工業教員養成所附属工業補習学校として創立(蔵前)
- 1902年3月 東京高等工業学校附設工業教員養成所附属工業補習学校となる
- 1910年3月 東京高等工業学校附属工業補習学校となる
- 1921年3月31日 財団法人協調会に移管、蔵前工業専修学校と改称
- 1926年9月 東京工業専修学校と改称(麻布区新堀町)
- 1940年11月 東京高等工学院と改称
- 1941年3月27日 初等工業部と中等工業部を合併し城南工業学校(甲種)設立、高等工業部を東京高等工学院とする
- 1946年3月31日 城南工業学校廃止
- 1946年10月3日 協調会解散、財団法人中央労働学園に移管
- 1947年4月21日 財団法人手島工業教育資金団に移管
[編集] 東京工業大学移管後
- 1951年4月1日 千葉大学東京工業専門学校附属の両校が東京工業大学へ移管、合併し東京工業大学附属工業高等学校(本科)となる
- 1951年5月1日 東京高等工学院が東京工業大学に移管、東京工業大学附属工業高等学校専攻科となる
- 1961年4月1日 東京工業大学理工学部附属工業高等学校と改称
- 1967年6月1日 東京工業大学工学部附属工業高等学校と改称
- 2005年4月1日 東京工業大学附属科学技術高等学校と改称
[編集] 著名な出身者
[編集] 関連項目
[編集] 外部リンク
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