杜牧
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杜牧(とぼく、貞元19年(803年) - 大中6年(853年))は中国、晩唐期の詩人。京兆・万年(陝西省)の人。字(あざな)は牧之(ぼくし)。号は樊川。
晩唐の繊細な技巧的風潮を排し、平明で豪放な詩を作った。風流詩と詠史、時事諷詠を得意とし、艶麗と剛健の両面を持つ。七言絶句に優れた作品が多い。
杜甫の「老杜」に対し「小杜」と呼ばれ、また同時代の李商隠と共に「晩唐の李杜」とも称される。 祖父に中唐の歴史家・杜佑を持ち、詩人の杜荀鶴は庶子と言われる。
[編集] 経歴
25歳で進士に及第。
833年、31歳の時に揚州の淮南節度使牛僧孺の幕下に入り、書記を勤めた。揚州では毎晩妓楼に通い、風流の限りを尽くしたといわれる。
その後は、一族を養うため、名門出身でありながら中央での出世を取らず地方長官を志望し、黄州、池州、睦州、湖州の刺史を歴任。852年に中央に戻り、中書舎人となる。
[編集] 著名な作品
江南の風景を絵画のように表現した「江南春」、揚州での、風流才子としての姿を描いた「遣懐」、反実仮想的と言われる詩風をよく反映し、「捲土重来」の語の元ともなった「題烏江亭」がよく知られている。賦(ふ)では「阿房宮賦」が有名。
晩唐を代表する詩人で、人気も高い杜牧であるが、唐詩選には一篇も選ばれていない。